樹安の日々インスピレーション

日々の生活の中での気づきを、徒然なるままに

夢の世界と現実世界

先日行われた、天皇即位の祝賀式典と祝賀パレード。どちらも滞りなく無事に終わってよかったです。警備に携わっていた方たち、ホッとされているのではないでしょうか。

そして、祝賀式典で披露された「Ray of water」…素晴らしい曲でした。何より、皇后雅子さまが感激されたのか、涙を流されていたのが印象的でした。

実際に式典の場にいた方、テレビで見た方、やはり雅子さまと同様に感動されたという声が多いようですね。これからの令和の時代に想いを馳せ、いい時代になるようにみんなが願い、夢のような世界を共有する…そう、あのひとときは夢の世界だったと思います。

でも、現実ではいまだに台風の後遺症で苦しんでいる方、日常生活もままならない方も多くいらっしゃいます。どちらかというと、現実世界では大変な思いをされている方のほうが多いのではないでしょうか。

 

夢の世界、たまにはいいと思います。夢のような時間を過ごして、日々を生きるパワーにできる方なら、夢の時間を思う存分楽しんだ方が活力にもなっていいと思います。

でも…私は残念ながら、夢と現実の切り替えがあまり上手ではありません。一旦夢のような時間を過ごしてしまうと、いつまでも浸っていたい…なかなか現実に戻れないのです。それに加えて、ちょっと皮肉屋の面もある私は、夢のような世界であってもアラ探しをしてしまう癖があります。おかしいところを見つけてしまって、一気に興ざめ…思う存分夢の世界を楽しめない、非常に残念な性格の持ち主なのです。

 

そんな私は、夢のような煌びやかな世界よりも、どちらかというと泥臭い音楽とかが好きだったりします。

ひと昔前にコアな人気があった、レッドウォーリアーズというバンド。ボーカルはあのダイヤモンド・ユカイさんです。今ではバラエティ番組などで良きパパぶりを披露しているユカイさん、実はゴリゴリのロックンローラーだったのです。(ちなみにギターのシャケさん、若手女優である杉咲花さんのお父さまだそうで…時代の流れを感じます。)

その音楽は、もう泥臭いザ・ロックンロール!歌詞も時には反骨心丸出しだったり、時にはザ・俺様!だったり、時には超ハッピーだったり、時には青臭さ丸出しの切なさだったり…たぶん大衆的にはカッコ悪いのでしょうが、私を含めた一部の人にはとんでもなくカッコよく映っていたのです。今もたまに聴きますが、もうたまらなくダサかっこいいのです。

先日もとあるテレビ番組のカラオケ企画で、久しぶりにユカイさんがマイクスタンドを蹴り上げて、かつてのロックンローラーらしいパフォーマンスをしていましたが…まわりの人は若干引いていました。テレビによく出るようになった今でも、たまに垣間見えるこうした不器用さ、まわりに引かれようが「らしい」ことをやる心意気!こういうところがたまらなく魅力的です。

 

私が強烈に惹かれるのは、生の感情であり、生の音楽。夢の世界にはない、泥にまみれたリアルに、私はとてつもなく魅力を感じます。ちなみにユカイさんの生歌は絶品です。たまにビートルズのカバーとかもされますが、鳥肌立ちます!

このへんの好みは、その人が生きてきた背景とかも影響しているのかもしれませんね。

さあ、私は私のやり方で、泥臭く、たくましく、現実(リアル)を生きていきましょう!

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現実(リアル)って…この感じ、我ながらダサーい!

何か大きな力が動いている?

先日起きた沖縄の首里城の火災…建物の大半が消失してしまいました。沖縄に住んでいない私たちでさえショッキングな出来事だったので、沖縄の人たちの気持ちを考えると…言葉が見つかりません。

その数日後、今度は世界遺産白川郷でも火災が発生しました。こちらは大事には至らず、とりあえずはよかったです。

 

首里城にしても白川郷にしても、火災なんて今までありえなかったこと。なぜこうも立て続けに火災が起きてしまったのでしょうか。

また、この秋日本列島を立て続けに襲ったスーパー台風による被害から、まだまだ立ち直っていない方もたくさんいらっしゃいます。

今までありえなかったことが起きてしまう現在。何か大きな力、人間には想像しえない何かが動き出しているような?気がしてならないのです。

 

芸能界でも信じられないニュースが多く報じられています。不祥事の発覚により、今まで毎日のようにテレビに出ていた人が急に姿を消してしまうことも増えました。

今までならば誤魔化せていたことが、誤魔化せなくなってきている…やはり何か大きな力が働いているのでは?と感じてしまうのです。

当たり前のことが、当たり前ではならなくなる時代。今まで人間がしてきたことに対するツケが回ってきているのかもしれません。

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新たに始まった令和の時代。波乱の幕開けとなってしまいましたが…今日行われた祝賀行事にお出ましになった天皇、皇后両陛下のお姿は、やはり光り輝いていました。特に皇后雅子さま、今までいろいろとご苦労をされた分だけ、内側から溢れるような光り輝く笑顔が印象的でした。

私たちの未来に何が待ち受けているのか?全く予想もつきませんが…私たちに今できることは、日々を精一杯生きることのみ、です。

 

追記:これを書くこと、とっても迷いましたが…

今私は、とあるとんでもない嘘、誤魔化しに気づいています。恐らく大半の方は気づいていないこと、なのですが…

私の中で、表現者としてとても許せない誤魔化しが今もなお行われています。今日もその場面を見て、とんでもない!と怒りに打ち震えました。

この誤魔化し、わかる人にはわかるはずです。それでも、絶対に口にしてはいけない…そんな雰囲気なんです。確かに私がここでその誤魔化しを声高に叫んだところで、誰も喜ばないし、誰も幸せにはならない…なので、これ以上言うのは私もやめます。でも、その誤魔化しは今もなお横行し続けているし、今日見た場面は本当に激昂するレベルでした。

 

誤魔化しが効かなくなっている今の時代、私が思うこの誤魔化しが表面化する時が来るのでしょうか。

さっきも書いたように、具体的なことをここには書けません…中途半端になってしまいすみません。

それでも、自分の思いには正直になるべきだと思ったので、今の自分の思いとしてここに書かせていただきました。

 

真実って、いったい何なのでしょうね…

でもきっと、誤魔化しの人生を歩んできた人は、それなりの人生にしかならないと思います。

ザッツ・エンターテイメント!

先日何となくテレビをつけていたら…久々に素晴らしいパフォーマンスに遭遇しました。たまにこういうラッキーがあるんですよね。

やっていたのは、FNS27時間テレビの最後を飾る企画。かつて元気だった頃のフジテレビの音楽に合わせて、全国津々浦々からやって来た高校生のダンス部の子たちが、フジテレビ内のいろんなところでパフォーマンスを披露。そして最後に、彼女たちの学校の先生たち、ダンス未経験の先生たちがダンスにチャレンジし、特訓したダンスの成果をスタジオで披露…これを全て、生放送の一発本番でチャレンジする、というもの。

 

まず最初は、オレたちひょうきん族のテーマであるウィリアムテル序曲に合わせて、狭い廊下をフルに使ったパフォーマンス。高校生たちのキレのあるダンスと、ワクワクする音楽と、縦横無尽のカメラワークとが相まって、素晴らしい!これから始まる一連のパフォーマンスに対する期待が高まります。

続いて、古畑任三郎のテーマや踊る大捜査線のテーマに合わせて、高校生たちはキレのあるかっこいいダンスを披露。特に踊る大捜査線では警察をイメージした赤く光る警棒を駆使して、一味違うパフォーマンスでした。

続いて、LA.LA.LA.Love Song や MISIA の Everything に合わせて、しっとりとした大人っぽいダンス。当時見ていた「ロンバケ」や「やまとなでしこ」などの名作ドラマを思い出させてくれました。

その次は、ちびまる子ちゃんドラゴンボール、ワンピースのテーマソングに合わせた、元気いっぱいのダンス。アニメソングはいつ聴いても子供の頃のワクワクした気持ちになりますね。

 

いやーもう、ここまでの高校生のパフォーマンスが素晴らしすぎました。それぞれの曲に合わせて工夫を凝らした、一糸乱れずにキレのあるダンス。それぞれの高校のプライドが感じられます。生放送の緊張感もバンバン伝わるし、流れるようなカメラワークも素晴らしかったです。

そしてなんと言っても、かつてのフジテレビを彩った音楽の素晴らしいこと!ドラマ、アニメ、バラエティ、全てのジャンルに人気番組が存在し、みんなが知ってるテーマソングがあり、だからこそ通用したこの企画。逆に言うと、今のフジテレビの元気のなさを示してしまったわけでもありますが…

 

さあ、いよいよダンス初心者の先生たちがパフォーマンスを披露する順番。生徒たちからエールをもらい、7人の先生たちがスタジオへ呼び込まれました。

27時間テレビのテーマソング?関ジャニの曲に合わせて、先生たちが全力で特訓の成果を披露しました。正直言って、ダンスのレベルは高校生とは比べものになりません…でも、先生たちの気迫とか、このダンスに賭ける思いとかは、画面を通してもビンビンに伝わってきました。ダンスの動きの隅々まで気を配っているのもよくわかりました。

人が全力でチャレンジしている姿、真剣に取り組んでいる姿は、なぜこんなにも感動を呼ぶのでしょうか。自分たちのパフォーマンスを終えてスタジオに駆けつけ、先生たちのダンスを見守っている生徒たちの、祈るような表情も忘れられません。

 

そして、無事にパフォーマンスが終了。先生たち、やり切った表情です。ひとりひとりがキラキラと輝いていました。

スタジオで見守っていた芸能人のみなさんも絶賛していました。感動した、泣きそうだった、素晴らしいものを見させてもらってありがとう、と口々におっしゃっていました。

私も同感です。生放送の緊張感の中、同じ感動をテレビを通じて共有できたこと、本当にラッキーでした。私はやっぱり、音楽とかダンスとかが好きなんですね。

本当に素晴らしいパフォーマンスでした。これぞ、ザッツ・エンターテイメント!

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僕は自由だ!

ちょっと、このタイトルしつこいですかね(^_^;)

Eテレにほんごであそぼ」の番組内で紹介されていた「スイッチ」という詩に、この表現が出てきます。

肢体不自由である水野優午さんという方が作ったこの「スイッチ」という詩、全文を掲載させていただきますね。

 

「スイッチ」

スイッチオン   僕の背中に翼が生える

スイッチオン   僕の足はタイヤに変身

僕は愉快だ    僕は自由だ

 

…もうね、ダイレクトに心に響いたのですよ。

水野さんは実際に歩行が不自由だったり、車椅子に乗らなければいけなかったりするけれど、心の中は愉快で自由で、なんて素敵なんだ!と、ものすごく印象に残ったのです。

 

さて、私自身のこと。

私は身体的には障がいはありませんが、恐らく発達障がい気味ではあると思います。具体的には不安が強く、必要ないことで心配しすぎて心を痛めたり、必要以上に自分を追い込んだりしてしまいます。

また、必要以上に他人の目が気になってしまい、人がたくさんいるところは苦手だったりします。

私が持つこの性質、私の子供たちも受け継いでいます。私たち親子3人、非常に生きづらさを抱えて毎日過ごしているのです。

 

気持ちが苦しくなると、体にも症状が出始めます。子供たちはすぐに手足が痛くなります。筋肉痛とは違う何か、だとは思いますが、とりあえず筋肉痛ということにして、アロマを使ってマッサージをしてあげると落ち着いて眠れるようです。

私自身は、ストレス過多になると生理が止まります。体の中にグーっと溜め込んでいるのがよくわかります。

 

でも、私たちが抱える生きづらさを、いつまでも発達障がいのせいにしていたって、結局何も変わらないんですよね。私たち自身が苦しいだけ。

であれば、どう生きていけば楽になるのか?自分らしく過ごせるのか?を、自分自身で模索していくしかないのです。

 

ここ最近、自分自身と向き合う日々の中で、まわりの人は案外私のことを気にしていない、ってことに気づいてきました。私が自意識過剰だっただけ。人の目なんて、そんなに気にしなくても大丈夫なんです。

また、自分の人生は自分で決めていい、どうにでもなるってことにも気づき始めています。子育てにしても、正解なんてない。自分の思うようにやってみればいいんです。仕事だって、辞めてもいいし、続けてもいい。自分の思うようにやればいいんです。

 

自分を信じて、自分に嘘をつかずに、毎日を前向きに過ごす。これって簡単なようでいて、なかなか難しいんです。自分が心身ともに元気なときは大丈夫なんですけど…

自分の気づかないところで何かに執着していたり、恐れに囚われているとき。最近の私の例だと、生理が来ないことで病気を疑い、不安が増し、さらに体のホルモンバランスが崩れて、ますます子宮が硬くなってしまう…という症状とか。こういう悪循環に陥ってしまうと、自分だけではなかなか突破できなかったりするんです。

私の場合は、旦那さんが「仕事はあなたの好きにしていいよ」と言ってくれたことで、自分の好きなようにしていいんだ!と思えて、私の中の何かが解放されて、体の症状も良くなったのです。

 

今の私は自由です。心からそう思えます。私のまわりのいろんなことが変わり始めています。

自分と向き合い、自分の人生を生きる。簡単なようで難しい。これからも私は、自分と向き合い続けます。

 

私と同じく、生きづらさを抱える子供たち。

どんな道を選んでも構わないけれど、自分の人生を生きてほしい…私が子供たちに望む、唯一のことです。

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「僕は自由だ」

僕は自由だ

何をしたっていい

何を言ってもいい

 

どこへ行こうが

誰といようが

好きなようにすればいいんだ

 

思いのままに僕は生きる

好きなことは好きだし

苦手なことは苦手なんだ

僕は自分に正直になりたいんだ

 

たまに感じることがある

僕のことを見下す視線

そんな風に思われる筋合いはない

心の中でふざけんなと思ったっていいんだ

 

はしゃいだっていいし

時には落ちこんでもいい

僕は自分に嘘をつきたくないんだ

僕はいつだって自由なのだから

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ただ、そこにいるだけで

私は、自分が人の役に立つ人間でありたいと思っています。

人の役に立つために、何かをしなければいけない、何かを始めなければいけない、とも思っています。

発達障がい児を持つ母親として、同じ悩みを抱える人たちの話を積極的に聞いたり、自分の思いをこうしてブログに書き綴ったりするのも、そうした思いがあるからです。

 

でも、なぜ私は人の役に立ちたがっているのか。

「人の役に立つ」=「自分の価値」だと思い込んでいるのかもしれません。

でも、その人が何を求めているのか?は、その人自身にしかわからないこと。

私が考える「その人の役に立つこと」が、必ずしもその人の本当に求めていることと一致しているわけではないのです。

そういう時、私は「その人の役に立たない人間」となってしまいます。

 

私は役に立たない人間…自己否定もいいところです。

私は無意識のうちにこの思いに縛られて、勝手に苦しんでいたのかもしれません。

このことに気づいた大きなきっかけは、今回の一連の台風被害。

私たちの地域で特に大きな被害のあった15号が過ぎ去った後…家が無事で停電もしなかった我が家、まわりの人たちが停電等で困っているのを聞いて、何とかしなければ、何かをやらなきゃ、という気持ちばかりが空回りして、自分の役立たなさに苦しみ、もがき、そうしてできた心の闇…いつしか私の体までも蝕んでしまったようです。

具体的にいうと、私はしばらく生理が来ていません。もう3ヶ月。

さすがに婦人科へ行って検査をしたところ、妊娠ではなく、閉経でもなく、子宮内に血液を溜め込んでいる状態とのこと。今は検査結果を待っているところです。

 

今までの私は、人の役に立つために、闇雲に動き回っていました。

でも…私の存在意義は、人の役に立つことではないのです。

人の役に立つとか立たないとか、そんなことは関係なく、私はただそこにいるだけでいいのです。

ただそこにいて、毎日を楽しむ。自分のやりたいことをやる。

仕事だって、やめてもいいし、やめなくてもいい。どっちでもいいのです。

子育てだって、頑張ってもいいし、手を抜いてもいい。自分のやりたいようにやればいいのです。

 

このことは、自分の体のことを考えて、仕事を辞めたいと旦那さんに相談したときに、どっちでもあなたの好きにすればいいよ、と言ってくれたことで、気づけたことです。

役に立つから重宝されるのではなく、どんな状態の私でも愛し受け入れてもらうことが、私には必要です。

それができるのは、他の誰でもなく、私自身。私自身の発するSOSに自分で気づいて、そのSOSをまわりの人にしっかりと伝え、まわりの人に協力してもらうことが必要です。

 

そして…心の闇を受け止めて、今も踏ん張ってくれている私の体。複雑に絡み合い、互いに影響し合う私の心と体。しっかりとケアをしてあげようと思います。

もし検査結果で病気が見つかったら、有耶無耶にせずにしっかりと治します。まずはそこからです。

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私の名前は樹安。安らぎの樹。

ただそこにいるだけでいいのです。