樹安の日々インスピレーション

日々の生活の中での気づきを、徒然なるままに

True colors

You with the sad eyes(そんなに悲しい目をして)

Don't be discouraged(落ち込まないで)

Oh I realize(私はわかってるよ)

It's hard to take courage in a world full of people(たくさんの人がいる世界で勇気を持つのは難しいって)

You can lose sight of it all(自分を見失ったり)

And the darkness inside you(あなたの中にある闇が)

Can make you feel so small(自分をちっぽけな存在だと思わせたりね)

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But I see your true colors(でも私にはあなたの本当の色が見える)

Shining through(内側から輝く光が)

I see your true colors(あなたの本当の色が見える)

And that's why I love you(私はそんなあなたを愛している)

So don't be afraid to let them show(本当の自分を見せることを恐れないで)

Your true colors(あなたの本当の色を)

True colors are beautiful(本当の色は美しい)

Like a rainbow(まるで虹のように)

(True Colors / Cyndi Lauper)

 

*いつもはビートルズなどの楽曲からインスピレーションを受けて、ある程度自分で詩を創作するのですが…シンディローパーのトゥルーカラーズは、私の言いたいことがそのまま楽曲に詰まっていたので、あえて原曲の歌詞のみを載せることにしました。

何十年も前の曲ですが、今も色褪せない名曲です。

「感覚」を大事にする

ちょっと前に何かの情報番組で、便利グッズ特集なるものをやっていました。何となく見ていて、とある商品が紹介されていたのですが…

その商品は、小型の泡立て器のような形をしていて、泡立て部分の中ほどに仕切り板があります。何に使うのか?というと、この器具をお味噌の入った器にズボッと入れると、いつも一定量の味噌を掬い取ることができて、いつでも同じ味の味噌汁が作れる、というもの…だそうです。

 

私はこの商品を見て、何てナンセンスな!と思いました。だって…味噌汁で使う味噌の量って、具材によって変わったりしませんか?

例えば、塩蔵ワカメを使う場合は、いくらワカメを水洗いしたとしても多少は塩っ気が残っているので、味噌は控え目の量でも十分です。

逆にお豆腐を使う場合は、味噌の量が少ないと水っぽい味になってしまうので、ある程度味噌を効かせた方が美味しいと思います。

また、日によって味噌汁を作る量も変わるかもしれませんよね。今日はみんないるから多めに、とか、今日はパパの帰りが遅いから少なめに、とかね。そういうのでも、使う味噌の量は変わってくると思います。

先ほど紹介した商品…確かに、料理を始めたばかりで何もわからない時期であれば、便利な商品かもしれません。でも毎日何かしら料理を作っているうちに、何となく味噌汁に入れる味噌の量はわかってきます。具材を考えながら、味見をしながら、味噌の量を加減する…この「感覚」、料理を作る上でとっても大事だと思うのです。

 

料理を作る作業って、とってもクリエイティブですよね。調味料の組み合わせとか、入れるタイミング、火の入れ加減など、ちょっとしたコツで味がガラリと変わってきます。私自身はあまり料理が得意ではありませんが、それでも毎日、なるべく頑張って作っています。

また、ごくたまに、ものすごーく料理上手な人に出会うことがあります。長年料理を作り続けてきたからこその味とでも言いますか…こういう人が作る、ごく普通のおでんとか、野菜の煮物とか、なんてことない料理がものすごく滋味深くて美味しかったりするんですよね。

 

日々を過ごす上で、私たちが忘れがちな「感覚」、特に現代は何でもかんでも便利さを求めて、自動で動くものが増えました。掃除も洗濯も、現代では機械のスイッチを入れるだけで全てやってくれます。

でも、例えば洋服についたシミは洗濯機だけではなかなか落ちないし、掃除機だけでは床はピカピカにはなりません。手でゴシゴシ洗ったり、雑巾でキュッキュと水拭きをしたり、そういう作業が「感覚」を研ぎ澄ますのにとっても大事なのでは?と思うのです。

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今ある便利さに慣れてしまうと、だんだん頭を使わなくなります。私たちに備わっているはずの「感覚」を駆使することなく、ただ機械のスイッチを入れるだけの毎日…そんな日々を過ごしていると、頭はだんだんボケて、もしかしたら認知症になってしまうかもしれません。

頭も体も使ってナンボ!ですよ。

 

さて今から、溜まった洗濯物をいかにして部屋に干し切るか?という、ある意味頭を使う作業が待っています。って…ちょっと違うか?

トワイライト

今年は台風の影響で、紅葉などの秋らしさというものを味わうことがないまま、早くも冬の陽気になってしまいました。

寒くなってくると、夕方から夜にかけての日暮れの時間帯が、寂しいというか、何とも言えない切なさに襲われるんです。

日が暮れる。1日が終わる。

何かが終わる時の喪失感のようなものを、日暮れとともに感じるから、切ない気持ちになるんですかね。

 

日が暮れるとともに、空には星が瞬き、月も顔を覗かせます。街にも灯りがともり始めます。

夏であれば、そこまで寂しい気持ちは込み上げないかもしれません。夏の夜は、花火とかのお楽しみもありますし。

やはり、冬の寒さがそうさせるのかもしれません。早く家に帰って暖かいものを飲みたくなったり。

 

私は寒いのが苦手です。だから、基本的に冬は嫌いです。

でも、冷えきった体に流し込む温かい飲み物の、何と美味しいことか。

冬の澄み切った空気の、何と清々しいことか。

冬という季節は、私たちの五感を大いに刺激してくれるのかもしれませんね。

 

昔見た大好きな映画のひとつに「ベルリン・天使の詩」という作品があります。

映画の前半はモノクロームの世界です。主人公はそこそこのオッサンですが、背中に羽根が生えている天使です。空から地上の人間たちを見守っています。

この天使のオッサン、ある人間の女性に恋をしてしまいます。天使は人間からは見ることができないし、天使から人間に話しかけることもできません。

天使のオッサンは、彼女に会うために天使を辞めて、人間界に降りる決意をします。一度人間界に降りたら、二度と天使には戻れません。それでもオッサンの決意は固く…実際に人間界に降りてきました。

 

…すると、モノクロームの世界が一気に鮮やかなフルカラーの世界に変わるのです。

季節は冬。天使の時には感じなかった寒さ…元天使のオッサンは感激して、寒さを存分に味わいます。

白い息を吐いてみる…ハァー、楽しい!

露店で売っていたホットコーヒーを飲んでみる…熱っ、美味い!

元天使のオッサンは、人間になったからこそ得ることのできた、色鮮やかな「感覚」を存分に楽しみます。

そしていよいよ、お目当ての女性のところへ行きます。最初は変な目で見られ、叶わぬ想いに苦しみながらも、やがて彼女との恋を成就させ、想いが通じ合う喜びを知るのです。

 

やはり、冬という季節は私たちの五感を大いに刺激してくれます。だからこそ、冬の夕暮れ時に切なさが込み上げてくるのかもしれませんね。

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発達障がいと向き合う・その3

「発達障がい」という言葉、最近テレビでもよく取り上げられるようになり、だいぶ知られるようになりました。ただ…あまりいいイメージを持たれていないのが現状、ですよね。私自身も我が子の抱える発達障がい、未だにネガティブなイメージを持っていますし…。

 

でも…そのネガティブなイメージに負けてはいけない!

日々感じる生きづらさや、ふとした時に受ける心の傷に凹んでいる場合ではない!

発達障がいは個性!いいところもいっぱいあるんです!

(…と、自分に気合を入れているところです。)

 

発達障がいの1番の特徴は、発達の極端なデコボコだと思います。つまり、できないところは極端にできないけれど、その分できることはずば抜けているのです。

うちの家族の場合…

娘は場の空気や人の気持ちを読むことが極端に苦手だけれど、好奇心はずば抜けています。チャレンジできそうなことは、とりあえず何でもやってみて、その中でハマるものにはとことんハマります。今までで1番ハマったのは…ネイルかな?今では私よりも上手に塗ることができるし、色使いやデコレーションなども研究を重ねています。

息子は娘とは逆で、場の雰囲気に敏感過ぎて、行ける場所がものすごく限られてしまいます。人に対しても好きな人と苦手な人とが極端です。でも、家など落ち着いて過ごせる場所にいる時は、彼のユーモアのセンスが爆発します。ものまね、オリジナルギャグ、フリップ芸、歌や踊り…とにかく楽しいことや面白いことが大好き!家では私も一緒になってバカなことをして遊んでいます。

そして私自身…(私も発達障がい気味です)とにかく自分に自信がなく、健全な人間関係を築くことが下手です。そんな私のずば抜けた部分…凝り性で、一旦興味を持つとトコトン調べ上げるので、雑学の知識量は半端ないかもしれません。家でクイズ番組を見ていても、結構正解率は高いです。上の娘が小学校高学年の現時点で、宿題を教えるくらいの知識は持っています。

 

発達障がいを抱えながら生きている私たち、やはり日々の生活で壁にぶち当たることもあるし、ちょっとしたことで落ち込むこともあります。落ち込んで、立ち直って、また落ち込んで…を繰り返す毎日です。

でも発達障がいだからといって、それを理由に自分たちを卑下したり、まわりに必要以上に気を遣ったりするのを、もうやめようと思います。

私たちは私たち。発達障がいという強烈な個性を持って生まれてきた、愛すべき存在なのだと思います。

 

こんな話を聞くことがあります。発達障がいの人たちは特殊能力を持ち、宇宙とも繋がりを持つ特別な存在なのだそうです。って、ホント?

また、アインシュタインエジソンなどの偉人の多くも、実は発達障がいだった、という話も聞いたことがあります。

うまくいかない日々を送っていた時期は、こういう話を聞くと少しだけ希望を持つことができました。発達障がいの人たちは特殊な能力を持っている…私たちにもそういう力が宿っているのかもしれない…もしかしたら、私たちは凄いのかも、と。

でも…そういう考え方に希望を見出していても、そう思っているだけでは現実逃避に過ぎないし、自分は特別な存在だと意識したところで、現実は何も変わりません。

 

自らの持つ壮大な可能性は、とりあえず頭の片隅に留めておいて…まずは、日々を前向きに過ごすこと。人の目とかはあまり気にせず、自分に集中すること。

自分が楽しいと思うこと、自分が嫌だと思うこと、自分が悲しいと感じること、自分が本当に好きなこと…自分の中から湧き出る感情のひとつひとつと向き合うことで、次第に「自分」というものが出来てきます。

私たちひとりひとりが、「発達障がい」という肩書きが気にならない位、「自分」というオンリーワンの輝きを放つ存在になっていければ…と、私は願っています。

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発達障がいと向き合う・その2

私には小5の娘と小2の息子がいますが、2人とも発達障がい、具体的には自閉症スペクトラムという診断を受けています。主な特性はこだわりの強さやコミュニケーションの取りづらさで、知的発達も一般の子に比べると遅れ気味です。

我が子が発達障がい、しかも自閉症と聞いた時は、目の前が真っ暗になりました。それでも様々な療育施設に通い、先生方やお友達との関わりを重ねていくことで、少しずつこだわりが外れて、言葉も出るようになり、人とのコミュニケーションも取れるようになってきました。

 

下の息子が小学校へ上がる時のこと。発達検査に引っかかってしまった子供たちは、どの学校へ行くのか?の選択を迫られます。具体的には、地元の小学校に行くのか?地元の小学校でも支援学級に入るのか?それとも特別支援学校に通うのか?の3択です。

うちの息子に下された判定は、特別支援学校でした。しかし、私の中で息子は地元の学校でもやっていけるのではないか?という思いがありました。教育委員会や小学校と話し合いを重ね、最終的には地元の学校の支援学級でお世話になることに決まりました。今は彼のペースに合わせてもらいながら、勉強に学校行事に、彼なりに充実した学校生活を送っていると思います。

 

そして、同級生の中でも何人か、発達検査に引っかかった子たちがいます。彼らの場合はうちの子とは違って、小学校の支援学級という判定でした。しかしうちの場合と同じように、判定された支援学級ではなく、全員が普通学級で学ぶことを選択しました。

私から見ても、彼らはうちの子とは違って、基本的に仲間同士で遊ぶことができます。同級生の輪の中で、一緒に育っていくことができる子たち…それなら普通学級で仲間たちとともに学んだ方がいいのではないか…と私も感じていました。(うちの子は、基本はひとり遊びを好みます。仲間に入ろうとはしません。)

 

そして、小学校選びで迷っていた時に、彼らのママたちがやっていたことや感じていたこと…

学童を利用するか?放課後デイサービスを利用するか?を迷っていて、放課後デイの見学に行ってみたら…あまりにゴチャゴチャしていて、その場にいる子たちの雰囲気に馴染めずに引いてしまったこと。

支援学級を勧められたものの、できれば支援学級には行きたくなくて、普通で行ける限りは普通学級に通わせたいと思っていたこと。

…いや、言っていることはわかるんです。そりゃ、できれば我が子は「普通のまま」がいいですよね。

でも…じゃあ、特別支援学校を勧められて、支援学級へ行くことになったうちの息子は、普通じゃないってこと?おかしいのかな?

放課後デイにいる子たち、うちの息子の療育友達だったりもするのだけど…そんなに引くほどおかしいことをしていたのかな?

そもそも「普通」って何?

つまり…みんなはうちの息子に対しても、ある意味偏見を持っているってことだよね?

 

私たち親子は、ずっと地元のこども園、小学校に通っています。規模が小さいので、ほぼ同じメンバーで成長してきています。

その中で、実は密かに感じ続けてきたこと…私たち親子は、はっきり言って仲間ではないのです。

みなさん基本的には親切で優しいし、私たち親子にも話しかけてはくれます。でも、うちの息子は根本的にみんなとは違うし、その親である私も同じ。今まで何とかやり過ごしてはきたけれど、学年が上がってくるにつれて、うちの子と他のみんなとの違いがさらに顕著になってきました。

学年が上がるにつれて、習い事や勉強のこと、子によっては絵や習字などで表彰されることもあります。比較的教育熱心なママたち、どんどん上を目指していく同級生たちの中で、日々マイペースで頑張る息子との温度差は増すばかり…他のママたちと私とでは、見ている世界が全然違うのです。

 

…もう自分の気持ちに嘘はつけません。小学校では、はっきり言って仲間はいません。息子も、私自身も。今までは何とか仲間に入ろうとしていましたが、みんなとは根本が違うから、そもそも話が合うわけがないのです。私はずっと、無理してまわりに合わせてきたことに気づいてしまったのです。

…だからといって、特別支援学校に行ってしまうと、カリキュラムそのものがガラリと変わってしまいます。今のところ学校生活や勉強にはついていけているので、このまま支援学級でしばらくは頑張ることになる…のかな。

 

まぁ仲間ではないと言っても、同級生であることには変わりません。みなさん基本的には仲良くしてくれます。

でも…ただ、それだけのこと。

息子にとっても私にとっても、やっぱり発達障がいのコミュニティの方が仲間という感じがします。療育先に行けば、控え目な息子でも一緒に遊べる友達はいます。

もう自分に嘘をつくのはやめます。無理をするのもやめます。

発達障がいに偏見を持っている人たちや、逆に中途半端にわかったつもりで接してくる人たちとは、境界線を引こうと思います。

もしかしたら、息子が仲間に入ろうとしない理由…息子はすでに、彼の中でみんなと境界線を引いているのかもしれませんね。

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発達障がいと向き合う・その1

私には小5の娘と小2の息子がいますが、2人とも発達障がい、具体的には自閉症スペクトラムという診断を受けています。主な特性はこだわりの強さやコミュニケーションの取りづらさで、知的発達も一般の子に比べると遅れ気味です。

我が子が発達障がい、しかも自閉症と聞いた時は、目の前が真っ暗になりました。それでも様々な療育施設に通い、先生方やお友達との関わりを重ねていくことで、少しずつこだわりが外れて、言葉も出るようになり、人とのコミュニケーションも取れるようになってきました。

 

子供たちと一緒に療育施設に通っている頃…先生方は子供の個性、特性を全面的に受け入れてくれました。当時はできないことばかりの我が子、私自身も親として全く自信が持てなかったのですが、そんな私たち親子を先生方は丸ごと受け止めてくれました。

特に発達障がいなどを抱える子供たちにとっては、とことん寄り添い、その子に応じた成長を見守ることが大切なんだ…親として私自身も多くを学びました。

 

おかげさまで2人とも療育手帳(=発達が遅れた子たちが持つ手帳、施設利用等の割引制度あり)の対象外になり、いわゆるグレーゾーンと呼ばれる段階(=障がい児ではなく、普通の子との境界線上にいる段階)まで成長しました。小学校は2人とも地元の学校の支援学級に通っています。そして私自身も仕事復帰し、キリスト系保育園で事務員の仕事をしています。

 

今までは一般的な成長スケールに合わせるのではなく、その子に応じた成長のペースを見守ることが大事だと思ってきたし、そう教わってきました。ひとりひとりの「できた!」を大切にして、それを積み重ねていくのが大切なんだ、と。

しかし、特に今私が働いている保育園の様子…それぞれの年齢に応じた課題があり、それをクリアできないと先生に注意され「できない子」というレッテルを貼られてしまいます。先生方は、子供に寄り添うというよりは、保育園の課題の方に子供を寄せていくような指導をしています。

 

中にはうちの子と同じように、発達障がい気味のお子さんも何人か見受けられます。そういう子たちに対して…その子の特性に寄り添ってくれる部分も多少はありますが、やはり「できた!」よりも「できない」の方に注目がいき、できないことに対して何とかしてやらせる場面が多いような気がします。

私は事務員なので、基本的に保育には口出し無用です。でも…今まで発達障がいの子供たちと歩んできた道とは、あまりにも雰囲気が違う現場…私はカルチャーショックを受けました。

もちろん、一般的な保育園は集団保育という形をとっているので、ひとりひとりに寄り添いきれないという部分はあるし、先生方の負担を考えると仕方なかったりもするのですが…子供たちに対する先生方の基本的なスタンスが「寄り添い」というよりは「指導」で、今まで私が経験してきたものとは大きく違うのです。もし私たち親子がこの保育園に通っていたら、きっと前向きな気持ちは保てなかっただろうし、今の子供たちの成長はなかったのではないか…と思ってしまいました。

 

私は今、親としての自分の軸…子供に寄り添うことがいちばん大事なことである!という、今まで信じてきた信念が揺らぎつつあります。

社会性を身につけるには、寄り添うだけではダメで、時には指導も必要…なのかもしれませんが、優先順位としては寄り添うことの方が大事…だと思うんですけどね…幼い年齢であればなおさらです。

 

発達障がい児が日々過ごす中での現実。まだいろいろとありますが、長くなったので次回また書きたいと思います。

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否定されて気づいたこと

私はほぼ毎日、下の息子のお迎えで小学校へ行きます。私と同じようにお迎えに来ているパパやママ、おばあちゃんなどもいます。

息子の学年はお迎えに来るママたちが多く、終わるのを待っている間にいろいろな話をします。よく話題になるのは、学校行事のことや同級生のこと、習い事のことなど…時には真剣に意見交換をすることもあります。

先日もあるママが悩みを持っていて、みんなでいろいろと意見を出していました。私も思うことがあったので意見を出してみたら…「いや、そうじゃなくて!」と、1人のママが私の意見を完全に否定したのです。それだけではなく、そのママは終始私に背を向け、私を輪から外すような?態度を取り始めてしまいました。

 

自分の意見を否定される…正直ヘコみますよね。こういう経験、これが初めてではなく、今までにも何度かあります。私はやっぱりみんなと考え方が違うのかも…私ってやっぱり仲間が作れない、孤独な人間なのかもな…そんな思いで頭がグルグル回っていました。

うちの子供たちは発達障がいを抱えていますが、私自身も若干発達障がい気味だったりします。人と考え方が違うのは、私の持つ発達障がいの要素が影響しているのかもな…モヤモヤした思いを抱えながら、発達障がいについていろいろと調べていたら、こんな面白い考察を見つけました。ある程度要約させてもらいますが、主な内容としてはこんな感じです。

 

…発達障がいを持つ人たちは、普通の人よりも発達が遅れていて、これからの成長が期待される存在だと思われがちだけれど、実際は全く逆なのです。つまり、彼らはすでに完全な状態で、完璧な存在なのです。

どういうことか?というと、普通の人は子供の頃の魂から徐々に社会性を身につけて大人の考え方となっていくのに対して、発達障がいの人は子供の頃の魂=完全な状態で完璧なので、子供の頃の魂を持ち続けたまま生きていきます。普通の人と発達障がいの人は、そもそもの意識が違うのです。

発達障がいの人は、大人になってからも子供の純粋な魂を持ち続けます。心はいつでも自由なのですが、現代社会では生きづらさを感じることもあります…

 

私はこれを見て、今まで自分自身で抱えていた謎が一気に解決!しました。例えば…なぜ私は他人のことにあまり興味が持てないのか。なぜ私はみんなが当たり前に知っている常識的なことを知らないのか。なぜ私はお金に執着がないのか…などなど。

私の魂は、今も子供のまま…だから社会性が乏しく、常識的なことを知らなかったりもするんですね。それらはきっと、私には必要のないこと…なのです。

私のことを過小評価する人も多かったり、意見を頭ごなしに否定されたり…そんな時は、私の言動が子供のようだったりするのかもしれませんね。でも、それは本来の私の姿だから、過小評価をされても意見を否定されても、全く凹む必要はないのです。

いやぁ、今までこんなことは考えもしませんでした。まさに目からウロコの発見!です。

 

我が家は子供たちも発達障がい児、母親である私も子供の魂を持つ発達障がい傾向…もっと言うと、パパも恐らく子供の魂を持ち続けていると思います。私もパパも、あまり心を許せる友達はいなかったりしますが、家にいるときは家族4人でキャッキャとふざけていたりします。

私がパパに惹かれたいちばんの理由は、物事に取り組む姿やものの見方が、子供のように純粋だったこと、なんです。自然と自分に似た人を結婚相手に選んでいたんですね。

 

子供の魂を持つ人間でも、何とか仕事をしながら現代社会を生きていくことはできます。パパも私も、生きていくスキルを学びながら、生きづらさを何とかやり過ごしながら、毎日過ごしています。

だから…きっとうちの子たちも大丈夫。この子たちなりにスキルを身につけて、たくましく生きていくことでしょう。

 

ママ友さんに自分の意見を否定されたことから始まり、今回も新たな発見に繋がりました。

日々起こる嫌なことや困りごと…正直心は苦しいですが、その原因に向き合うことで、新たな発見や気づきのきっかけになる!のです。

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