樹安の日々インスピレーション

日々の生活の中での気づきを、徒然なるままに

目の前が真っ暗になった、あの日のこと

娘が産まれた時、娘の身体上は特に何も問題なかった。

やがて、首の座り、ハイハイ、立っち…徐々に発達の遅れが目立つようになった。言葉もなかなか出てこなかった。

1歳半検診の時、まわりのお友達がみんな歩いて来ていたのに、娘はまだ歩けずにベビーカーだった。

検診が始まり、ピンと張りつめた空気で娘が落ち着かない中、まわりのお友達は「型はめ」の課題を上手にやっていて…うちの子にもできるだろうか?と一気に不安になった。

娘は案の定「型はめ」をうまくできなかったばかりか、その場でパニックを起こしてしまった。もう無理だ、誰か助けて!と思ったその時。救いの手を差し伸べてくれたのは…その場に居合わせた、とある療育教室の先生だった。

先生は検診会場のすぐ近くにある療育教室へ私たち親子を案内してくれた。広めの部屋にたくさんの遊具。娘はやっと落ち着いて遊び始めた。私も検診のプレッシャーから解放されてホッとした。

 

それから、週一回のペースでその療育教室に通い始めた。その時私はこう思っていた。この教室に通い続ければ、娘の発達の遅れを取り戻せる、きっと普通の子と同じようになる、と…。

でも、とあることがきっかけで、私は衝撃の事実を知ることになる。

娘は自閉症スペクトラムである、と。

 

自閉症という、なかなかのパワーワード。知った瞬間、私は目の前が真っ暗になった。

勝手に思い描いていた私たち親子の将来像…肩を並べて仲良く歩いている母と娘の姿…が、音を立ててガラガラと崩れていった。

 

その日家に帰ってから、自分なりに調べてみる…でも、調べれば調べるほど、間違いなく娘は自閉症なのだと思い知らされるのだった。

 

さぁ、これからどう生きていこうか…娘の人生をあきらめかけたその時、地元で活動している、とある団体の存在を知った。

その団体は、発達障がい児を持つ親と支援者とがひとつになって、勉強会やイベントを開いたり、子供たちと一緒にお出かけをしたり、精力的に活動していた。

ホームページの中に、会員さん数名のメッセージが載っていたのだが、どの方も自閉症を含めた発達障がいをポジティブに捉えていて、障がいはあくまで個性である、との考え方だった。

 

私は、この団体の存在に救われた。少しずつイベントに参加したり、交流の場に顔を出したりした。

やがて私も正式に会員になったのだが、団体自体の形態も時とともに変わり、会員の入れ替わりも幾度かあった。私自身も会員でありながら、最近あまり活動に参加できていないのだが、その団体は今も変わらず発達障がい児とその親のために活動を続けている。ありがたいことだと思う。

 

我が子が発達障がいであると受け入れること。本当に難しいことだと思う。最初は誰でも目の前が真っ暗になるだろうし、私も当時はたくさん泣いた。療育教室でも涙を堪えきれなかったこともある。

それでも、発達障がい児とともにある人生…今まで知らなかった景色を見ることができるのは間違いない。一歩踏み出せば、そこに世界は広がっている。

私は今、幸せな人生を生きている。だって、はるか昔にあきらめた景色…小学4年生になった娘と、肩を並べて仲良く歩くことができているのだから!

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