樹安の日々インスピレーション

日々の生活の中での気づきを、徒然なるままに

経験する/しないの大きな差

先日、とある保育に携わる先生が、こんな話をされていました。

「いじめっていうのはさ、された側がいじめだと捉えてしまえば、全部いじめになっちゃうんだってね。たかがズボンを下ろされたくらいでさー」

…!!

その場では普通に受け取られたこの発言、私は密かに衝撃を受けました。

たかがズボンを下ろされたくらい?

ちょっと待って。実際にズボンを下ろされることが、どんなに恥ずかしいことか…

所詮、いじめを受けたことのない人間は、人の痛みなどわからないのだと、私は思いました。

 

私は以前、とんでもないいじめを受けたことがあります。今からカミングアウトします。

私は子供の頃から、今でいう発達障がいの傾向があったように思います。言うこと、すること、人とはちょっと変わっていたと思います。だから近所の子供たちの中で、格好のいじめのターゲットになっていました。

ある日、とある子の家でみんなで遊んでいた時に、私はその家の奥の部屋へと連れて行かれました。当時私は小学1年生。そこに近所に住む女の子たちがたくさん集まってきました。

指示を出すのは6年生の女の子。私は何かしら悪いことをした?ようで、その罰として…私はまずみんなに背を向けて、ズボンを下ろすように言われました。言う通りにしました。その後パンツも下ろすように言われました。

そして、みんなの方へとお尻を出すように言われ、その通りにしました。その後はみんなに、お尻の穴の周りをいろいろといたずらされました。羽根のようなものでくすぐられたり、ウンチがついているとからかわれたり、マニキュアで固めるぞと脅されたり…とにかく、鮮明に覚えています。今この文章を書いているだけでも、胸がギューと締め付けられます。

 

ズボンを下ろすという行為、もしかしたら今の子たちは冗談の範囲で、ギャグのつもりでやっているのかもしれません。特に男の子たちの間では、そういうこともあるかもしれません。

でも、ズボンを下ろされて不快な思いをする子は必ずいると思います。もしズボンを下ろされた子が嫌だと訴えてきたら、そんなことくらいで…と軽くあしらわず、まずはその子の話を聞いてほしいです。いたずらの範囲で、ギャグの範囲でやっていたことが、いつのまにかいじめに発展する…ということも、私はあると思います。

 

人の痛みは、所詮経験した人にしかわからないのです。いじめに関しても、する方はさほど覚えていなくても、された方は強烈に覚えているものです。

私は、いじめの加害側に加わってしまったこともあります。その時はそれほど大きなことだとは思っていませんでしたが、された方はきっと今でもしっかりと覚えていることでしょう。

改めて、いじめは決してあってはならないことだと、自戒の意味も込めて伝えていきたいです。

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