樹安の日々インスピレーション

日々の生活の中での気づきを、徒然なるままに

言葉の暴力、言葉の魔法

私は先週末、ひどく疲れて落ち込んでいました。

原因のひとつは、仕事と子育てに疲れ切っていたこと。特に発達障がいを抱える子供たちが、些細なことでも「ママー!」と私を呼ぶ声に、私は応じきれなくなっていました。

疲れていても、アップアップでも、家のことはある程度やらなければいけません。とりあえずご飯作らなきゃ…と台所に立ち、味噌汁を作ろうと大根を切っていたら、息子がやって来て「ママ、またこれなのー?」…私は一気にやる気をなくしました。

 

翌日。息子が放課後デイへ行くのでお弁当が必要ですが、作る元気が湧きません。途中で買っていくこともできますが、息子にお弁当をリクエストされています。

息子に「今日はママ疲れているから、おにぎりだけでもいい?」と聞いたら、息子は渋々ながら「いいよ」と言ってくれました。そんなやりとりを見て、その日は放課後デイへ行かない娘が「ママ、私もおにぎりだけだったらイヤだなー」…なぜ今それを言う?私はもう、何もかもがどうでもよくなりました。

こうして、ただでさえ疲れているところに、子供たちの容赦ない言葉の暴力に私は打ちのめされてしまいました。発達障がい児、空気が読めないのは頭ではわかっていますが、私もダメな時はダメなのです。私は何もする気が起きず、その後はただボーっと過ごしました。

子供たちも、さすがに私の異変に気付きました。ママは疲れている…娘が「ママ休んでていいよ、おにぎりだけでもいいよ」と言ってくれました。娘が私のことを労ってくれている、その気持ちがうれしかったです。その一言だけで、だいぶ元気になりました。

 

言葉というのは、その人の気持ちが表れます。だからこそ、ちょっとした言葉がその人を傷つけることもあり、逆にその人を癒すこともあります。本当に私のことを思って言ってくれた言葉は、まるで魔法にかかったように私を元気にしてくれます。

親が子供たちに言葉をかける時にも、その言葉が暴力にも、魔法にもなり得ることを、私たちは気に留めておかなければいけません…なかなかそうもいかない時もありますけどね。

 

娘がまだ幼い頃、発達障がいの特性がまだまだ強くて人と目を合わせることすらできなかった頃に、私の誕生会で「ママ、お誕生日おめでとう」と、しっかりと私の目を見て言ってくれたこと。娘が勇気を振り絞って、心を込めて言ってくれたその一言は、今でもはっきりと覚えています。

娘が私にかけてくれた魔法の言葉…今もしっかりと心に刻んであります。

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