樹安の日々インスピレーション

日々の生活の中での気づきを、徒然なるままに

怖れの解放・その3

前回は、自分自身が「できない」ことに対する怖れについて書きました。今回は自分自身ではなく、子供たちのこと。子供たちが「できない」ことに対する、親として抱えている怖れについて、です。

親であれば、そりゃ子供のことは心配です。運動会や発表会、うまくできるかどうか、ハラハラしながら見ている人も多いと思います。

さらにうちの子たちには、発達障がいというフィルターがかかります。「発達障がいだから」という強烈な怖れ…私は今までずっと抱えてきました。そして、今もなお対峙し続けています。

 

発達障がいであるが故に、強烈な人見知りを持つうちの子たち。今までは幼稚園や小学校での運動会や発表会に参加すること自体が目標でした。子供たちの出来る範囲で参加して、子供達なりに頑張って、自分の持つ力を発揮すれば、もう十分オッケーでした。

でも…学年が上がるにつれて、できることが増えるにつれて…参加するだけではなく、ある程度の完成度を求められるようになってきました。特に5年生の娘は好奇心が旺盛であるが故に、自分の能力以上のことをどんどんやりたがってしまい…やりたいことをやりきれずに、心と体のバランスを崩して、グッタリと疲れ切ってしまうこともあります。

 

そんな中でこの夏…地元の由緒ある神社で、娘は巫女舞を踊る2人のうちのひとりになってしまったのです。地元の子供が減ってきているので、うちの娘が引き受けざるを得ない状況だったのですが…実際に引き受けるかどうかは、本人も悩みに悩みました。だって、一旦引き受けたら、もうやり遂げるしかないのです。親子で悩んで、周りの人にも相談して…結局、引き受けることにしました。だって、こんなチャンスは滅多にないですからね。発達障がいを理由に断るのは、もったいないです。

 

そして先日、初めての練習がありました。私はとにかく不安でした。娘がしっかりと踊れるのかどうかと。そして…その不安は的中してしまいました。

まずは、練習場に置いてあった本番用の丙と鈴に、娘は興味津々です。一旦興味を持つと、さわって、鳴らさないと気が済まない娘…思い切り鈴をかき鳴らしてしまいました。彼女の気が済むまで。

こういう時に、ありのままの娘を受け入れられればいいのですが、私はまだまだ恥ずかしさが勝ってしまい…いたたまれない気持ちになりました。

 

そして、いざ練習が始まっても、娘は踊りを覚える前の段階、基本的な所作が全くできていません。丙と鈴をまっすぐに、腕を伸ばして持つことができず、重さに耐えられなくて腕がすぐに下がってしまいます。鈴を持って手を回したり、ゆっくりと歩を進めたりするのにも、動きが硬くてロボットのようです。

そのうちに心も体も疲れてきて、動きがフニャフニャになり、しまいにはその場にゴロンと寝転がってしまいました。見兼ねた神職の方が一旦休憩にしてくれました。休憩後は何とか復活して、基本的な動き方は一応覚えました。あとは動きの硬さや姿勢の悪さを、家で修正すれば何とかできそう、というところまでいきました。

 

今回の娘のチャレンジの過程で、私が今まで知らず知らず抱えていた思い…娘の発達障がいをごまかそうとしている自分に気づかされています。発達障がい特有の、ちょっと奇異に思える行動を、私はまだまだ恥ずかしいと思ってしまっている…そこを手放せないから、苦しいんだということに、気づき始めています。

発達障がいの特性を理解しつつ、でも巫女舞は完璧に踊らなければいけません。救いなのは、教えてくれる神職の方があまり厳しくないことと、巫女の相棒である同級生の親子が、娘の特性に対して理解があることです。

 

この先まだまだ練習を積まなければいけませんし、さらに袴の衣装に慣れることとか、苦手な髪の毛を結わえることとか、娘にとっては越えなければいけないハードルがまだまだあります。

娘の特性に寄り添える部分は寄り添って、疲れが見えたらなるべく休ませてもらって、その上で娘がしっかりとお役目を果たせるように…親としても頑張ろうと思います。

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今回、私が抱えている不安や怖れをここに書いたおかげで、私自身も覚悟ができた…気がします。さぁ、宣言します。マニフェストです。

娘は、神社の祭典で巫女舞を完璧に披露します!