樹安の日々インスピレーション

日々の生活の中での気づきを、徒然なるままに

ただ、そこにいるだけで

私は、自分が人の役に立つ人間でありたいと思っています。

人の役に立つために、何かをしなければいけない、何かを始めなければいけない、とも思っています。

発達障がい児を持つ母親として、同じ悩みを抱える人たちの話を積極的に聞いたり、自分の思いをこうしてブログに書き綴ったりするのも、そうした思いがあるからです。

 

でも、なぜ私は人の役に立ちたがっているのか。

「人の役に立つ」=「自分の価値」だと思い込んでいるのかもしれません。

でも、その人が何を求めているのか?は、その人自身にしかわからないこと。

私が考える「その人の役に立つこと」が、必ずしもその人の本当に求めていることと一致しているわけではないのです。

そういう時、私は「その人の役に立たない人間」となってしまいます。

 

私は役に立たない人間…自己否定もいいところです。

私は無意識のうちにこの思いに縛られて、勝手に苦しんでいたのかもしれません。

このことに気づいた大きなきっかけは、今回の一連の台風被害。

私たちの地域で特に大きな被害のあった15号が過ぎ去った後…家が無事で停電もしなかった我が家、まわりの人たちが停電等で困っているのを聞いて、何とかしなければ、何かをやらなきゃ、という気持ちばかりが空回りして、自分の役立たなさに苦しみ、もがき、そうしてできた心の闇…いつしか私の体までも蝕んでしまったようです。

具体的にいうと、私はしばらく生理が来ていません。もう3ヶ月。

さすがに婦人科へ行って検査をしたところ、妊娠ではなく、閉経でもなく、子宮内に血液を溜め込んでいる状態とのこと。今は検査結果を待っているところです。

 

今までの私は、人の役に立つために、闇雲に動き回っていました。

でも…私の存在意義は、人の役に立つことではないのです。

人の役に立つとか立たないとか、そんなことは関係なく、私はただそこにいるだけでいいのです。

ただそこにいて、毎日を楽しむ。自分のやりたいことをやる。

仕事だって、やめてもいいし、やめなくてもいい。どっちでもいいのです。

子育てだって、頑張ってもいいし、手を抜いてもいい。自分のやりたいようにやればいいのです。

 

このことは、自分の体のことを考えて、仕事を辞めたいと旦那さんに相談したときに、どっちでもあなたの好きにすればいいよ、と言ってくれたことで、気づけたことです。

役に立つから重宝されるのではなく、どんな状態の私でも愛し受け入れてもらうことが、私には必要です。

それができるのは、他の誰でもなく、私自身。私自身の発するSOSに自分で気づいて、そのSOSをまわりの人にしっかりと伝え、まわりの人に協力してもらうことが必要です。

 

そして…心の闇を受け止めて、今も踏ん張ってくれている私の体。複雑に絡み合い、互いに影響し合う私の心と体。しっかりとケアをしてあげようと思います。

もし検査結果で病気が見つかったら、有耶無耶にせずにしっかりと治します。まずはそこからです。

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私の名前は樹安。安らぎの樹。

ただそこにいるだけでいいのです。