樹安の日々インスピレーション

日々の生活の中での気づきを、徒然なるままに

人への言葉は自分への言葉

私がこのブログを始めて、どのくらい経ったのでしょうか。書いてきた記事の数もだいぶ増えました。日々気づいたこととか感じたことを、自分に嘘のないように、自分の言葉で書くことをいつも心がけています。

そして、他の方が書くブログもよく読ませてもらっています。それぞれの方が日々感じること、共感することもあれば、あれ?と思うこともあったり。

 

いろいろな方のブログを読ませてもらって、ひとつ感じることがあります。それは、その人が発する言葉について。同じ内容を書いていても、言葉遣いでこちらが受け取る印象はだいぶ違ったりするのです。内容がスッと入ってくることもあれば、余計なエネルギーを感じてしまい、せっかくいい内容を書いているのに台無しになってしまっていることも、残念ながらあります。

 

その人が使う言葉には、その人の背景や考え方、そしてその人の「今」が色濃く現れます。

その人が今、どんな状態なのか。落ち着いているのか。ストレスを抱えているのか。元気なつもりでいても、内心は寂しい思いだったりするのか。言葉の端々にふいに出てくることがあります。

そして、人にアドバイスをしているような文面を見て思うこと。人に呼びかけているその言葉…実は潜在意識において、自分自身への呼びかけだったりもするのです。

例えば人に対して、吐き捨てるような言葉遣いをしたり、見捨てるような態度を取ったりする方。実はその方自身が十分に癒されておらず…でも、その方自身がそのことに気づいていなかったりもするのです。

また、人に対して上からものを言うような方。その言い方が実は自分自身に対してである、というだけではなく…その人の自信のなさを上からの言い方で誤魔化しているだけ、でもあるのです。話したり書いたりする内容に自信があれば、わざわざ上からものを言って虚勢を張らなくても、普通の言い方で十分相手に伝わるはず、なのです。

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自分自身としっかり向き合ってきている方、荒波を乗り越えてきている方は、基本的には自分にも他人にも嫌な態度を取ったり、不快に思う表現を使うことはありません。ただ、日々起きている事実を書いているだけ。そこには何のジャッジもありません。

では、私自身はどうなのか…まだまだ自己肯定感の低さを抱え、十分には癒されていないので、どちらかというと自分を卑下する表現がまだまだあるのかもしれませんね。

それでも、以前に比べればだいぶ自己受容が進んできたと思います。発展途上の自分を卑下することなく、なるべく客観的に、俯瞰的に、自分と向き合い続けていこうと思います。