樹安の日々インスピレーション

日々の生活の中での気づきを、徒然なるままに

否定されて気づいたこと

私はほぼ毎日、下の息子のお迎えで小学校へ行きます。私と同じようにお迎えに来ているパパやママ、おばあちゃんなどもいます。

息子の学年はお迎えに来るママたちが多く、終わるのを待っている間にいろいろな話をします。よく話題になるのは、学校行事のことや同級生のこと、習い事のことなど…時には真剣に意見交換をすることもあります。

先日もあるママが悩みを持っていて、みんなでいろいろと意見を出していました。私も思うことがあったので意見を出してみたら…「いや、そうじゃなくて!」と、1人のママが私の意見を完全に否定したのです。それだけではなく、そのママは終始私に背を向け、私を輪から外すような?態度を取り始めてしまいました。

 

自分の意見を否定される…正直ヘコみますよね。こういう経験、これが初めてではなく、今までにも何度かあります。私はやっぱりみんなと考え方が違うのかも…私ってやっぱり仲間が作れない、孤独な人間なのかもな…そんな思いで頭がグルグル回っていました。

うちの子供たちは発達障がいを抱えていますが、私自身も若干発達障がい気味だったりします。人と考え方が違うのは、私の持つ発達障がいの要素が影響しているのかもな…モヤモヤした思いを抱えながら、発達障がいについていろいろと調べていたら、こんな面白い考察を見つけました。ある程度要約させてもらいますが、主な内容としてはこんな感じです。

 

…発達障がいを持つ人たちは、普通の人よりも発達が遅れていて、これからの成長が期待される存在だと思われがちだけれど、実際は全く逆なのです。つまり、彼らはすでに完全な状態で、完璧な存在なのです。

どういうことか?というと、普通の人は子供の頃の魂から徐々に社会性を身につけて大人の考え方となっていくのに対して、発達障がいの人は子供の頃の魂=完全な状態で完璧なので、子供の頃の魂を持ち続けたまま生きていきます。普通の人と発達障がいの人は、そもそもの意識が違うのです。

発達障がいの人は、大人になってからも子供の純粋な魂を持ち続けます。心はいつでも自由なのですが、現代社会では生きづらさを感じることもあります…

 

私はこれを見て、今まで自分自身で抱えていた謎が一気に解決!しました。例えば…なぜ私は他人のことにあまり興味が持てないのか。なぜ私はみんなが当たり前に知っている常識的なことを知らないのか。なぜ私はお金に執着がないのか…などなど。

私の魂は、今も子供のまま…だから社会性が乏しく、常識的なことを知らなかったりもするんですね。それらはきっと、私には必要のないこと…なのです。

私のことを過小評価する人も多かったり、意見を頭ごなしに否定されたり…そんな時は、私の言動が子供のようだったりするのかもしれませんね。でも、それは本来の私の姿だから、過小評価をされても意見を否定されても、全く凹む必要はないのです。

いやぁ、今までこんなことは考えもしませんでした。まさに目からウロコの発見!です。

 

我が家は子供たちも発達障がい児、母親である私も子供の魂を持つ発達障がい傾向…もっと言うと、パパも恐らく子供の魂を持ち続けていると思います。私もパパも、あまり心を許せる友達はいなかったりしますが、家にいるときは家族4人でキャッキャとふざけていたりします。

私がパパに惹かれたいちばんの理由は、物事に取り組む姿やものの見方が、子供のように純粋だったこと、なんです。自然と自分に似た人を結婚相手に選んでいたんですね。

 

子供の魂を持つ人間でも、何とか仕事をしながら現代社会を生きていくことはできます。パパも私も、生きていくスキルを学びながら、生きづらさを何とかやり過ごしながら、毎日過ごしています。

だから…きっとうちの子たちも大丈夫。この子たちなりにスキルを身につけて、たくましく生きていくことでしょう。

 

ママ友さんに自分の意見を否定されたことから始まり、今回も新たな発見に繋がりました。

日々起こる嫌なことや困りごと…正直心は苦しいですが、その原因に向き合うことで、新たな発見や気づきのきっかけになる!のです。

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