樹安の日々インスピレーション

日々の生活の中での気づきを、徒然なるままに

悲しきボタンのかけ違い

子供が発達障がいだということが発覚し、親子で途方に暮れていた頃…とある市民団体の存在が私たちを救ってくれました。

その団体は、発達障がい児に関わっている人たち…親、先生、支援者などが、それぞれの立場を越えて集まっていました。時にはみんなでお出かけをして自然と触れ合ったり、時には子供を預けながら親同士で意見交換をしたり…活動に参加させてもらって本当に楽しかったし、私たち親にとって本当に頼もしい存在でした。私たちの地域にこんなに素晴らしい団体があるんだ!ということを誇りに思いましたし、いつか私も仲間に加わりたい!とも思っていました。

 

そして、子供が幼稚園を卒園して小学校へ上がるタイミングで、晴れてこの団体の仲間になりましたが…実はその時期に、団体内で内部分裂が起きていたのです。

今まで通り市民団体としての形を維持したい人たちと、子供たちの将来を見据えて事業展開をしていきたい人たち。結局、市民団体としての形を望んでいた人たちが団体から抜けることになってしまったのです。私が仲間になった時には、すでに何人もの人が団体を去った後でした。

 

晴れて憧れの団体に入ってみたものの…私が望んでいたのは、その時に取り組んでいた事業展開の方ではなく、市民団体としての活動の方だったと、実際に活動してみて気づきました。

私がやりたいことと、その時の活動とがあまりにも違いすぎたし、多くの仲間を失った人手不足から1人1人の活動負担も大きく、まだまだ子供に手のかかる私にとっては活動を続けることが難しくなってしまいました。

さらに、義母の介護問題も出てきてしまい…これ以上活動を続けるのは無理だと判断して、一旦活動から退くお願いをしました。ただ、その団体の活動自体には賛同していたので、団体から抜けることはしませんでした。

 

しばらくして、地元の夏祭りで見覚えのある人たちを見かけました。かつてこの団体に入っていて、内部分裂で抜けて行った人たちでした。親子で何組か、夏祭りに遊びに来ていたようです。

私は久しぶりに会ったのもあり、声をかけてみましたが…返事は素っ気ないものでした。とても私たち親子が仲間に入れる雰囲気ではありませんでした。

まあ、この団体からケンカ別れして出て行った人たちからしたら、今もこの団体に入っている私とは話すこともないのかもしれません。でも、同じ発達障がい児を抱える親同士、かつては仲間として一緒に遊んだこともあるのに…私は残念でなりませんでした。

 

この団体は今も精力的に活動しています。かつて宣言していた放課後デイサービス事業もスタートし、軌道に乗っています。今後は障がい者就労施設の設立に向けて模索していくようです。

私は今も、この団体の一員です。ほぼ活動に参加できていない状況ですが、それでも団体の活動の様子を遠くから見守っています。

一方で、今も様々な場所でこの「元会員」のグループを目にすることがあります。その人たちの様子の、何と閉鎖的なこと…そこにあるのは、自分たちの仲間だけしか認められない世界。かつて私たち親子が夏祭りで仲間に入れなかった頃と、何も変わっていない人たちが今もそこにいます。

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この団体に関して言えば、私自身はうまく軌道に乗れずにボタンを掛け違えてしまいました。その当時は悲しい思いや苦しい思いもしましたが…でも、今となってはそれで良かったのかもしれません。

だって「あの団体」の一員だったら、いつまでも狭い仲間内だけの世界しかなかったのですから。

子供たちは、無限の可能性を秘めています。未知数の発達障がい児であれば、なおさら潜在的な可能性だってあります。

なるべく視野を広く持って、いろいろなことを経験して…めいっぱい楽しんだもの勝ち!ですよね。