私は以前、高校教師として教壇に立っていました。子供の頃に、同級生に勉強を教えて喜んでもらったことがきっかけとなって、先生になりたい!と思うようになり、得意教科の英語の教員資格を取って、実際に先生になりました。
でも、私はもともと人付き合いが得意ではなく…先生として教壇に立つ時、私は「先生スイッチ」を入れていました。そうすることで、生徒たちの前では「先生」としていられたのです。別の言い方をすれば、私は生徒たちの前で先生を演じていた、とも言えます。
スイッチを入れること。少し前の少女漫画「ガラスの仮面」で、主人公の北島マヤが舞台に立つ時に、ガラスの仮面(透明な仮面)をつける真似をして、その役になりきっていたような…そんな感覚かもしれません。
某学習塾のCMでも「やる気スイッチ」という表現が出てきたりもしますよね。
多くの人と接する場面において…人付き合いが苦手な私は、無意識のうちに様々なスイッチを入れて生きてきたのかもしれません。実際に今も、小学校へお迎えに行く時は「ママ友スイッチ」を入れてから…じゃないと、とてもとてもお迎えになど行けないのです。
でも、このスイッチを入れる作業を、ちょっとやめてみようかな?と思い始めています。
スイッチを入れることは、もしかしたら生きていく上で必要なことかもしれませんが…今の私は、本来の自分とは?自分の本質とは?という部分と向き合い始めています。
なので、スイッチを入れて特定の役割を演じるのではなく、なるべくスイッチを切った状態、自分の素の状態でいるようにしています。私にとっては武装であり、鎧とも言えるスイッチを失い、ある意味「丸腰状態」…まあ、不安な場面も多いですよね。
でも、スイッチを切ってみてわかったこと。
やはり家族といる時は、一切スイッチを必要としません。ありのままの自分でいられます。
あとは、案外今の仕事場でもスイッチを入れずに過ごせています。事務員として自分のやるべき仕事がはっきりしていることや、保育士である他の人たちと役割が違うことで、独立した立場でいられることが大きいです。
一方で、やはり小学校のお迎えはダメです。スイッチなしの状態では、もうどうしたらいいか全くわからず、ただ黙ってそこにいるだけです。でも、それが本来の自分の姿なのだから…まわりにどう見られようと、ひとまず今はそれでいいのかな?と思っています。
スイッチを切ったことで、自分にとって何が大丈夫で、何がダメなのか?が、はっきりとわかったことは収穫でした。自分にとってダメだとわかったことに対しては、ある程度の境界線を引くことで、自分を保つことができます。
まずは、ありのままの自分でいること。そんな自分を、まずは自分自身で受け入れること。その積み重ねが、自分に対する信頼へと繋がっていくのかもしれませんね。