樹安の日々インスピレーション

日々の生活の中での気づきを、徒然なるままに

全ての人が等しく生きる権利

基本的人権
第11条 国民は,すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は,侵すことのできない永久の権利として,現在及び将来の国民に与へられる。

…日本国民であれば、日本国憲法によって、基本的人権が尊重されるはずである。どんな人であっても。たとえ障がいがあっても。

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私は激しく怒りに震えている。…いや、悲しみに打ちひしがれている。

原因は、集団行動を良しとする日本の教育。

みんなと同じことができなければ、まるで後ろ指を指されるかのような扱い。

先生たちの手を煩わせる子は煙たがられる。

保育園も、幼稚園も、小学校も、中学校も、高等学校も…どこも大差はない。

 

優等生は先生に可愛がられ、劣等生はシカトされる。

発達に問題のある子を吊し上げるかのような会議。

手を煩わせる子が熱を出したと聞いて、これでお迎えを呼べる!と大喜びする先生たち…もう言葉にならない。

 

かつては私も高校教師として教壇に立っていた。

その時は、目の前のことで精一杯で、こんなことなど考えもしなかった。

そして今、親になってみて…発達障がい児の親になってみて、気づかされたことがたくさんある。

 

きっと先生たちは、自分たちが正しいと思って、自分のやるべきことを精一杯やっている。

そんな中で、最近手のかかる子たちが増えていることに対して…信じられない発言を当たり前のように繰り返している。

確かに先生たちは大変そうだし、発達に遅れのある子は専門のところへ行った方がいい、とは思う。

にしても…ひどすぎやしないか?

 

うちの子供たちは、発達に遅れはあっても、人と違うところが多くても、日々を精一杯生きている。

本来ならば、先生たちは日々悩める親子の味方になってくれるはずである。

確かに最近は、モンスターペアレントなる勝手な親御さんも増えてきてはいるが…

でも、でも…この状況はあんまりだ。

子供たちは、日々繰り返される状況を、小さい体で、どんな気持ちで、受け止めているのだろうか。

 

先生であることを忘れてしまった先生たち。

日々の忙しさにやられてしまっている先生たち。

 

私は、ただ、どうにもならない今の状況が悲しいだけ。

果たして、今の私に…何ができるのだろうか。