樹安の日々インスピレーション

日々の生活の中での気づきを、徒然なるままに

とことん自分と向き合う 〜自分の根っこにあるもの〜

私は自分に自信がありません。

原因のひとつは、小さい頃に自分の思うがままに、自由に振る舞った結果…みんなに受け入れられなかったこと。

小学校での全校集会。1年生の私は、校長先生のとある問いかけに対して、手を上げて「はなくそ」と答えました。単純に、その時の私はそう思ったから答えたのです。でも…教室に帰ってから、友達だけでなく、担任の先生からも冷たい視線を浴びました。

自分でもよくわからないままに、思うがままに振る舞っているうちに…時に男子の怒りを買い、時に女子の冷たい視線を浴び、先生に煙たがられることもありました。

そして私は、もうこれ以上嫌われないために、自分が傷つかないために…自分を抑え込む処世術を身につけていったのです。

 

自分に自信がない原因のもうひとつは、親のしつけ。自由な私の振る舞いを良しとしなかった私の両親は、自分を抑え込むように、事あるごとに私をしつけてきました。

そんな親の姿勢は、ある意味で正解だったのかもしれません。もし私が自分の思うままに、自由に行動していたら…何かしら危険な目に遭っていたかもしれません。親として、自分の子供に無茶な冒険をさせないこと…小さい頃の私には、必要なことだったのかもしれません。

 

そうして大人になった今、本当の私は何なのか?私は何をしたいのか?よくわからなくなっています。

本来の私は、こうではない…もっと楽しい何か、ワクワクする何かがしたい…胸の中にギューっと圧縮されているものをパーンと開放して、のびのびと振る舞いたい…そう、本来の私の魂は、子供のように自由でのびのびしているはず、なのです。

 

今までのように自分を抑え込んで、ある意味で器用に生きていくのか。それとも、人にどう思われようと、自分を開放して生きていくのか。

人生の約半分を過ぎた今、もう自分の思うがままに生きてもいいのかもしれない…そんな風に思い始めています。

 

今、気づき始めていること…私の最大の課題である自信のなさや劣等感は、実は自分自身で作り出しているのだ、ということ。

自分が人にどう見られているのか?が必要以上に気になってしまうから、他人の言動や反応がいちいち気になってしまうのです。

さらに、今の私は「人ありき」です。子供たちが、パパが、おじいちゃんが、会社の上司が、ママ友が…何を考えているのか。何を求めているのか。自分の考えよりも、人の意向を優先してしまっているのです。

 

ここを克服するために、まずは自分の意識を変えること。人ありきではなく、大事なのは「自分のあり方」。

自分への「おまじない」的な言葉を、毎日自分にかけてあげてもいいかもしれませんね。

今の私へは…「自分らしさを思い出して、もっと自由に動いてもいいんだよ!」…、かな?

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