樹安の日々インスピレーション

日々の生活の中での気づきを、徒然なるままに

失うものなど何もない

令和元年

いろいろなことが起きた

 

中でも私たちは

かつてない自然災害により

多くのものを失った

 

人間が犯してきた

長年にわたる罪が

自然災害という牙になって

私たちに襲いかかってきている

 

今さらジタバタしたって

この流れはもう

止めることはできないだろう

 

それならば

この変化を受け入れて

対応していくしかない

 

たとえ私たちにとって

不都合な変化であったとしても

今起きていることを

受け入れていくしかない

 

そもそも私たちは

もっと、もっと、と欲張りになりすぎていた

 

これ以上新たなものを求めずに

今あるもので対応していく

そんな生き方が求められている

 

始めから所有していなければ

失うものなど何もない

 

私たちの周りがどんなに変わろうとも

多くのものが失われようとも

私たち自身さえここにいれば

何とか工夫してやっていける

 

「私」という存在さえしっかりしていれば

失うものなど何もない

そんなひとりひとりの強い意志が

これからは必要になってくる

 

いつまでも人任せにするのではなく

自分自身で動き始める

そんなひとりひとりの覚悟も

これからは必要になってくる

 

新しい年に向けて

思いも新たにして

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さあ

激動の時代の始まりです

 

 

編曲のチカラ

私が大好きなEテレの番組「ムジカ・ピッコリーノ」、今日は年末の特別編が放送されていました。

簡単に番組内容を説明すると…「モンストロ」という架空の生き物に閉じ込められている楽曲を蘇らせるために、ムジカドクターと呼ばれる子供たち(音楽家の卵)や大人たち(プロのミュージシャン)が活躍する、というお話。毎回ひとつの楽曲を取り上げて、その曲のルーツを探ったり、楽曲構成を紐解いたりして、最後に登場人物みんなでその曲を演奏するのです。

取り上げられる楽曲は、ロックやポップスにヒップホップ、時にはクラシックや演歌、民族音楽なども登場します。番組最後の演奏では、大人に混じって子供たちも一緒に演奏するので、取り上げる楽曲によっては演奏のクオリティにばらつきがあります。ロックやポップスは比較的完成度が高いのですが、クラシック曲はやはりハードルが高いのかな?と思います。さらに、子供たちがヒップホップのラップにチャレンジした時は、全く様にならず…はっきり言って完全に失敗でした。

 

そして、今日の放送で取り上げていたのは、何とベートーヴェン交響曲第9番!いわゆる第九です。作曲当時、ほぼ耳の聞こえていなかったベートーヴェンが、絶望感から始まり、静寂を経て、歓喜に至る過程を、オーケストラに合唱を組み合わせて表現したのが第九です。こう説明してしまうと何の感動もないのですが、実際にオーケストラと合唱の合わさった壮大な演奏を聞くと、本当に魂が打ち震えます。素晴らしい交響曲です。

あまりにも有名な楽曲なので演奏される機会も多いのですが、フルに演奏をすると1時間近くかかり、合唱の入る第四楽章だけでも30分弱はかかってしまいます。そこで、有名なフレーズのみを組み合わせて短縮バージョンで演奏されることも多いのですが…残念なことに、編曲によってはせっかくの第九が台無しになってしまうことも多いのです。当時ベートーヴェンが感じたであろう絶望感や静寂を経て、初めてあの歓喜のメロディが活きてくるのですが…いきなり歓喜の大合唱から始まる編曲もあったりして…こうした「わかってない」編曲により、第九の本来持つ魅力が台無しになってしまい、非常にもったいないのです。

 

さて…ベートーヴェンの第九、確かに年末らしい楽曲ではありますが、ムジカ・ピッコリーノで取り上げるにはハードルが高すぎないか?最後の演奏は一体どうするのだろうか?と思いながら見ていました。でも…そんな心配は要らなかったようです。

実際に披露された演奏…短い時間の中に絶望があり、静寂があり、のちに歓喜の大合唱、そしてラストへと加速してフィナーレへと見事に繋がっていました。素晴らしい編曲でした。

さらに、演奏をした出演者の方々も素晴らしかったです。OKAMOTO'Sのオカモトショウさんがとてつもない歌唱力で子供たちを引っ張り、それに応じて子供たちも精一杯の歓喜の歌と演奏を披露…見ていて自然に涙が出ました。感動しました。

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久しぶりに、生のオーケストラ、生の合唱で、フルバージョンの第九を聴きたくなりました。

令和元年、やっと終わります

早いもので、もう年末。あと2日で令和元年が終わります。今年はとにかくバタバタしていた我が家、もう年末だなんて信じられません。

 

令和元年…やはり自然災害に翻弄された年だったと思います。私たちの住む千葉県南房総地区は、9月に上陸した台風15号の影響で、あらゆるものが風に飛ばされ、なぎ倒されてしまいました。

家によっては屋根が飛ばされ、雨漏りによる被害もありました。修理もなかなか進まず、年末になった今でさえブルーシートのかかったままの家もまだまだあります。

この地域を気に入ってくれて、移住をして来た人たちの中で、今回の被害が堪えたのか?すでに他の地域へ転居してしまった方も多いと聞きます。非常に残念ですが、こればかりは仕方ないことです。

 

そして、私がいちばん気になっていること…山の被害です。強風によって木々がなぎ倒されて、残った木も海風の塩害によって茶色に変色してしまい、美しかった緑の山々が変わり果ててしまいました。

私たちが昔から利用している山道。以前は鬱蒼としていて、道端に木々が生い茂り、オバケがいるんじゃないか?とか噂もされるほどの深い森…それが今は、木という木が倒れ、山肌が露わになり、道端には倒れた木の残骸がうず高く積み上げられています。

すっかり変わり果ててしまった、昔からの風景。木がスカスカになってしまった山、所によっては山肌が露わになり、崩れかけているところもチラホラ。山の色も緑ではなく、枯れ果てた茶色…山と海とのコントラストが美しかった、今までならば当たり前だったその光景は、今はもうありません。もっと言うと、山から木が無くなったことで、今後は山そのものが崩れてしまう危険性もあります。さらに風景が変わってしまい、私たちの生活に影響する恐れもあるのです。

海に慣れ親しんでいる方たちの話を聞くと、海の環境も激変してしまったそうで、魚たちの生態にも影響が出始めているのだそうです。

当たり前だった光景が無くなってしまうこと。こんなに悲しいことなのだと、改めて思います。火事によって消失してしまったノートルダム大聖堂首里城の地域にお住まいの方も、同じような思いでいらっしゃるのかな、と思います。

 

また、10月に上陸した台風19号による大雨の被害…河川が決壊し、家々が洪水に呑み込まれる様子は、テレビで見ていて心が痛みました。一度家の中に濁流が入ってしまうと、徹底的に除菌をしないと使い物にならないこと。そして、テレビには映らない強烈な臭い…あれからあまり報じられることはありませんが、被害に遭われた方たちは今どうされているのでしょうか。私たちの地域と同様に、今もまだ元の生活には戻れていないのでしょうか。

 

令和元年、おめでたいニュースもありました。天皇陛下即位の式典は素晴らしいものでしたし、ラグビーのワールドカップでは日本代表が活躍し、芸能人の結婚ラッシュもありました。

それでも、私にとっては災害に悩まされた1年でした。今までの価値観がガラリと変わってしまったのですから。

恐らくこれからは、毎年こういう被害がどこかしらで出ると思います。地震が起きる可能性だってあります。

一度被災してしまうと、怖さが刷り込まれます。天気図上に巨大な台風の渦を見るだけで、強烈な不安に襲われます。

でももう、これは仕方のないことです。今からでも環境問題に取り組んで、これ以上の環境破壊を食い止めるのも、すごく大事なことですが…今ある現実を直視して、受け入れて、対応していくことも求められると思います。

 

令和元年…やっと終わる、というのが、正直なところです。

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不器用な生き方

今回は、うちのパパのお話です。

うちのパパは市役所の職員です。市役所職員は、その時々に所属する課によって、仕事内容がガラリと変わります。パパはかつては税金の取り立て屋だったり、環境保全のためにゴミ拾いや特定外来生物の駆除をしたり…そして今は高齢者福祉のために日々動いています。大変だなと思うのは、休日であっても高齢者が行方不明になったとか、何かしら問題が起きた時には呼び出されてしまいます。市役所職員として対処しなければならず、本当に大変そうです。

パパは基本的には真面目です。真面目な分だけ、やらなければいけない仕事をたくさん抱えてしまっている…どちらかというと損をする性分、不器用な生き方をしていると思います。

 

先日、うちのおじいちゃんの妹さん(私たちにとっては叔母に当たる方)が急に倒れてしまいました。結婚せず、独り暮らしをしていて、ほかに身寄りのない叔母…うちのおじいちゃんはもう90歳を越えていて、叔母の入院手続きとか、その他諸々をやりきれません。結局、甥に当たるうちのパパが、入院手続きとか、ケアマネさんとの連絡、老人保健施設への入所手続きなどを全てやってくれました。

こういう時に、ちょっと言い方は悪いのですが…都会暮らしをしている親戚関係の人たちが、外野で何やかんやと口を出してくるのです。心配なのはわかるのですが、実際にいろいろと面倒を見なければいけないのは、すぐそばに住んでいる私たち…口出しをせずに私たちに任せてくれればいいのに、って思います。当然、その都度状況報告をしなければならず…はっきり言って面倒くさいのです。

きっとパパは、私ほど面倒がってはいないと思いますが、それでも相当気疲れをしていると思います。例の叔母が無事に老人保健施設へ入所手続きを終えてから、ホッとしたのか?熱を出して寝込んでしまいました。正月休みに入ってしまったのに、いろいろと忙しくて自分の血圧の薬をもらい忘れてしまったり…自分のことを後回しにして、人のために動いて…本当に不器用だと思います。

そして、そんなパパ…先ほど地元の防犯パトロールに出かけていきました。

 

不器用な生き方…それがパパの生き方です。正直、家の中では気を抜きまくっているパパ、家族サービスなんてほとんどしません。外で頑張りすぎている分、うちの家族にシワ寄せが来ているのです。

それでも、そんなパパを選んだのは私です。パパの今の性分、不器用な生き方、私は嫌いにはなれません。だって、外で頑張りすぎて、気疲れをして、家で気を抜きまくる…私も、子供たちも、たぶん同じ性分なのだと思います。

不器用な生き方をしている、私たち家族。この正月は、細かいことは気にせずにのんびり過ごしたいと思います。

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夢への第一歩

先日、お勤めしている保育園で交わされていた会話。

「来年度の入園希望、◯歳児に偏ってるねー」

「もっと◯歳児が来てくれればいいのにー」

「そんな贅沢は言ってられません。来てくれるだけ感謝しないとねー」

「でも、この子も、この子も、療育施設とか小児リハビリに通ってるみたいよー」

「えー、今でさえ手が回らないのに、勘弁してよー」

「すみませーん、普通の子をよこしてくださーい!」

 

…すみません、私の子供も思いっきり療育とかリハビリに通ってるんですけど。

あまりの会話のレベルの低さ。自分たちのことしか考えていない姿勢…私は怒りを通り越して、呆れてしまいました。

やっぱり、この人たちは分かってない。改めてそう思ってしまいました。

ここにこうして書くことで、どこの保育園か特定できてしまう可能性もありましたが…私にとってはあまりに酷すぎる園の体制…書かずにはいられませんでした。

それとも、どこの保育園も同じようなものなのでしょうか。だったら尚更絶望的です。

 

私は思いました。やはり、障がいを抱えている子供たちのことを理解できる人間が動かないことには、今の状況は変わらないと。いつまでも、わかっていない人たちに牛耳らせてはいけないと。

 

私は、発達障がいを抱えている人たち(特にグレーゾーンに当たる人たち)のことは、ある程度は理解しています。今はまだ自分の子供たちのことで手一杯ですが、将来的に障がいを持つ人たちが、自立して働いて、生計を立てられるようになるお手伝いをすること。私自身が何かしらの形で事業を展開することを、最終目標にしようと決めました。

そのために、まずは今お勤めしている保育園の仕事を通じて、事務のノウハウをある程度覚えること。そして、実際の事業展開へ向けて、私自身がある程度の経験を積むこと。今思っているのは、そんなところです。

 

まずは夢への第一歩。私はいつも、思いつくだけで実行できずにいますが、今回はゆっくり、じっくりと育てていきたいです。

だって、やろうと思えばできないことなどないのです。あれだけ苦手だった事務の仕事も、今は何とか1人でできていますし。

やるか、やらないか。必要なのは、そこの覚悟のみです。

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今いる保育園、基本的な考え方には全く賛同できませんが、自分の経験やスキルアップのための修行の場だと思って、気持ちを切り替えて頑張ります!

自分との対話

うれしいことがあった

悲しいことがあった

怒りに打ち震えた

ワクワクが止まらない

 

そんな時に  この気持ちを

ほぼ同じ温度で

誰かと分かち合うことができれば

いいのだけれど

 

残念ながら

今私のまわりに

そんな人は全くいない

 

同じ温度で

語り合うことができれば

いいのだけれど

 

今私のまわりに

そんな人などいない

 

自分という存在の

輪郭がはっきりしてくると

ちょっとやそっとでは

分かち合うことができないのかもしれない

 

仲間という存在に対して

ハードルを上げてしまっているのかもしれない

 

そんな時は

自分自身と語り合おう

 

自分という存在を

自分の考え方の軸を

しっかりと確認しよう

 

その先に  もしかしたら

真の仲間との出会いがある…のかも?

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真剣勝負はこんなに面白い!

先週の日曜日、個人的に毎年楽しみにしているイベントがありました。それは…M-1グランプリ

芸人さんたちの真剣勝負の場であるM-1の舞台。さらに芸人さんの運命が一夜にして劇的に変わるかもしれない?M-1の晴れ舞台。そこに賭ける芸人さんたちの生き様とか、審査員を務める大御所芸人さんとのやりとり、審査の基準から見えてくる大御所芸人さんの芸に対する向き合い方とか、見所が満載!なのです。

 

今年は特にドラマチックな展開でした。決勝に進出した芸人さんのほとんどが無名、唯一名前が知れているのが「かまいたち」くらい、さて、どうなるものか?と思っていたら…

クジの順番で2番目にネタをやった「かまいたち」が圧巻の漫才を見せると、それに続け!とばかりに、決勝に進出した無名の芸人さん達が次々に渾身のネタを披露し、大爆笑をかっさらっていったのです。

 

そんな中で、毎年M-1の決勝に進出している中堅コンビの「和牛」、今年は準決勝で敗退してしまいましたが、敗者復活で決勝の舞台に戻ってきました。でも、審査員の上沼恵美子さんも指摘されていましたが…新人芸人さんたちに比べて明らかに熱量が、ハングリーさが足りなかったのです。ネタ自体はよく練られていて、さすがの面白さだったのですが…勢いのある若手が次々と高得点を叩き出し、和牛はファイナルステージに残る3組からこぼれ落ちてしまったのです。優勝候補と言われていた和牛の、まさかの敗退…本人たちも呆然としていました。

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そして、決勝のファイナルステージに残ったのは「かまいたち」「ミルクボーイ」「ぺこぱ」の3組。どのコンビも最高に面白かったのですが、私自身ネタ中にずっと笑いっぱなしだったミルクボーイがファイナルも制し、見事にチャンピオンになりました。何と、ミルクボーイがテレビで漫才を披露したのは、今年になってからはこの日が初めてとのこと。それがいきなりチャンピオン。何てドラマチックなんでしょう!

かまいたち」はすでにテレビでも活躍していますが、もう1組の「ぺこぱ」…ツッコミはビジュアル系の格好で、ボケも天然すぎて、単なるキャラ立ち芸人かと思いきや…見ているうちにジワジワと面白さが増していく漫才で、すっかりファンになってしまいました。たぶん彼らは、来年テレビで見ることが多くなると思います!

ファイナルステージに残ることができなかった、その他のコンビ…「すゑひろがりず」「見取り図」「からし蓮根」など…これからテレビで活躍するのを見たい!と思う芸人さんたちがたくさん!本当に今年のM-1は面白かったです。

 

私自身もともとお笑いが大好きというのもありますが、今年のM-1は最高の舞台でした。今年はスベったコンビがいなかったし(強いて言えば、1組目の「ニューヨーク」はトップバッターのプレッシャーがあったのか?ちょっと不運だったかもしれません)毎年物議を醸す審査員の審査も概ね的確だったと思います。

芸人さんの世界、まだまだ無名ながら舞台などで地道に頑張っている人も多いと思います。今年のM-1芸人さんたちの来年の活躍を期待しつつ、1年後のM-1も今から楽しみにしたいと思います!