樹安の日々インスピレーション

日々の生活の中での気づきを、徒然なるままに

大人の皮を被ったコドモと、子供の皮を被ったオトナ

少し前の記事でも触れましたが、発達障がいを抱える人の魂は、子供の頃の魂のまま成長する…とのこと。つまり、私のように発達障がいを抱えている大人は、今も子供の魂を持っているらしい…のです。

この理論…個人的にものすごく納得したんです。アラフォー?アラフィフ?に差しかかっている私…見た目は立派なオバハンになったし、子供も大きくなってきて、仕事も再開し…でも、中身は思いっきりコドモ!なのです。

 

我が家は恐らく、全員が発達障がいに該当します。家にいる分には、はっきり言ってコドモ同士がふざけ合っているだけ…やりたい放題です。

少し前までは、私が唯一の大人として、コドモたち(パパも含みます)に「ちゃんとしなさい!」「片付けなさい!」「もう寝る時間だよ!」などと怒っていました。でも…私自身もコドモだと気づいてしまった今…怒ることに疲れてしまいました。なので、今我が家はグチャグチャです。ゴミ屋敷とまではいきませんが、散らかり放題…です。時間にもルーズです。寝る時間も遅く、学校も遅刻ギリギリ、先生に注意されてばかり…です。

まぁほんのちょっとだけ、母親としての理性は残っています。このままではまずいなぁ…と思いつつ、まぁいっか!の方が今は優っちゃっています。

 

一方で、見た目は子供(つまり小学生とか)の中に、実は中身がものすごくオトナの子たちもいます。特にそう感じるのは、家庭環境が複雑な家の子たち…家の中が不安定だと、常にもらえるはずの母の愛とか、家族の愛とかが足りなかったり…するのかもしれません。

何とかして自分の方を向いてもらおう!と、いろいろと試行錯誤を繰り返す子供たち…そういう苦労を重ねていく中で、生きていくスキルや逞しさを身につけ、見た目以上に中身が育ち、魂もオトナなのかも?しれません。

 

大人の皮を被ったコドモと、子供の皮を被ったオトナ…見た目と中身のギャップがありすぎます。

見た目は大人でも、中身がコドモの私は、小学生たちと顔を合わせても、オトナな子たちとは会話が噛み合いません。今まではそのことで悩んだりもしましたが、その理由がわかった今は、仕方ないと割り切れるようになりました。どちらかというと、同じ発達障がい寄りのコドモたちとの方が、話していても楽しいです。

見た目では分かりづらい、発達障がい等の支援を必要とする人たちがつける「ヘルプマーク」。見た目では全く見分けがつかない、魂年齢を表すマークもあればわかりやすいんですけどね…私実は魂がコドモです!的なもの、何か考えてみようかな?

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