樹安の日々インスピレーション

日々の生活の中での気づきを、徒然なるままに

マイノリティからの脱却

私の2人の子供たちは、発達障がいのひとつである自閉症スペクトラムの診断を受けています。

我が子が自閉症だと知った時は、目の前が真っ暗になりました。それでも、療育機関に通ったり、発達障がいの親子コミュニティに関わったりしながら、少しずつ発達障がいを前向きに捉えられるようになりました。

そのコミュニティで教わった、私の考え方のベースになっていること…発達障がいは「障がい」ではなく「個性」である!ということ、です。

私自身が前向きに考えられるようになり、子供たちも少しずつ、彼らのペースで成長を重ねてきました。幼稚園は支援学校に通っていた娘も、小学校は地元の学校の支援学級に通えるようになりました。今は姉弟2人とも小学校の支援学級に在籍し、毎日元気に通っています。

 

でも…療育機関や支援学校では前向きだった私たち親子、今は地元の小学校の荒波に飲まれています。発達障がいは個性である!はずなのですが…一般の子たちの中では、やはり個性が強すぎてしまうようで…娘は同級生から完全に浮いています。息子は自分から仲間に入ろうとはせず、基本は単独行動を取ります。

私自身も、最初は何とか仲間に入ろうと頑張っていました。でも…やはり仲間ではないのです。同級生の子供たちに受け入れられていないのがわかるし、ママたちともとりあえず仲良くしてもらっている、という程度です。意地悪をされたり、無視されたり、いじめられている訳ではないのですが…何と言えばいいのでしょうか…孤独なんです。

 

最近の私、たぶん小学校のお迎えの時に、全く笑えていないと思います。居心地の悪さといったら、考えるだけで苦痛になります。ますます周りとの距離は離れていく、悪循環…。自分たちの立ち位置、存在、本当に悩んでいます。

私たち親子は、やはり周りのみんなとは違うのです。発達障がいという強めの個性を持っていることは、これからもずっと変わらないことです。

つまり、発達障がいを抱える私たち親子は、マイノリティ(少数派)なのです。

 

マイノリティと聞いて、思い浮かぶのは、LGBTレズビアン、ゲイ、バイセクシャルトランスジェンダーの方たちを指す言葉です。

ひと昔前は世間の偏見の目に晒されていたLGBTの方たちですが、今は徐々に市民権を得てきています。女装をして堂々とテレビに出たり、同性愛のカミングアウトも以前よりはだいぶハードルが下がっていると思います。

私たち親子が抱える発達障がい、今はまだまだマイノリティの域を出てはいません。実際に私たちは日々息苦しさを感じているし、仲間に入るにはまだまだこちらから周りに合わせていく必要があります。

 

でも、本来はそうではないと思います。私たちが無理をせず、思うままに生きて、それでも周りが受け入れてくれる…それが理想です。

無理をせず、周囲と違っていても、お互いに笑顔でいられること。心地よく過ごせること。

私たちが目指すのは、発達障がいというマイノリティからの脱却です。

そのために、まずは私たち自身が前向きに生きること。卑屈にならないこと。

自分のことを肯定できて、前向きに受け入れることができていれば、感情のコントロールもできてくるはず。発達障がい者に対する偏見も減ってくるはずだし、発達障がい者による突発的な犯罪行動もなくなるはずです。

 

発達障がいが完全に受け入れられるまでには、時間はかかるかもしれませんが…LGBTの方たちがそうしてきたように、私たちも自分らしさを失わず、無理せず、前向きに生きていこうと思います。

f:id:hattatsumamajuan:20200124012133j:image