私が子供の頃、うちの親は私が「普通の子」であることを望んでいた。
普通の子…普通に勉強ができて、普通に友達がたくさんいて…
でも、私にはそれがプレッシャーとなって、自分でも知らない間に自分らしさを失ってしまっていた。
自分の軸もなく、いつもフワフワしていたので、同級生に嫌われたり、時にはいじめられることもあった。
そんな時、私は親の期待を裏切るのが怖くて、誰にも相談すらできなかった。
そんな私が自分らしさを取り戻したのは、親元を離れた大学時代のこと。
自分のやりたいことをやりたいようにできる充実感を味わい、素の自分を出すことで心から信頼できる仲間にも出会えた。
その後地元に帰ってきて就職。親元での生活、社会人としての壁、当時の私はいろんなことを勉強だと思って受け止めていた。
やがてご縁があり、今の旦那様と結婚して嫁に行き、娘が産まれた。
そして、娘に発達障がいがあることがわかった。
そのことがわかった時の、うちの親の落胆ぶりは半端なかった。うちの孫に限って何でなの?と嘆き続け、何とか孫が「普通の子」になるように、ひたすら神頼みをしていた。
でも…娘が普通の子である必要はどこにもない。
娘は娘らしく生きられれば、それでいいのだ。
もし娘が何の障がいもなく、いわゆる普通の子として産まれていたら…うちの親は成長とともに、常に同世代の子たちと娘を比べて、きっと私にプレッシャーをかけ続けていたであろう。
でも、娘が発達障がいであるとわかった時から、うちの親の目線が柔らかくなり、娘と他の子とを比べるのではなく、純粋に娘の日々の成長を喜んでくれるようになったのである。
さらに私に対しても、娘とともに頑張っている姿を認めてくれるようになったのである。
娘が障がいとともに産まれてきたこと。
そのことが、密かに存在していた長年の家族の問題を大きく前進させてくれたのである。
私にとっては大きな、とても大きなギフトだと思っている。
娘よ、本当に産まれてきてくれてありがとう。
これからもずっとよろしくね。