樹安の日々インスピレーション

日々の生活の中での気づきを、徒然なるままに

「感覚」を大事にする

ちょっと前に何かの情報番組で、便利グッズ特集なるものをやっていました。何となく見ていて、とある商品が紹介されていたのですが…

その商品は、小型の泡立て器のような形をしていて、泡立て部分の中ほどに仕切り板があります。何に使うのか?というと、この器具をお味噌の入った器にズボッと入れると、いつも一定量の味噌を掬い取ることができて、いつでも同じ味の味噌汁が作れる、というもの…だそうです。

 

私はこの商品を見て、何てナンセンスな!と思いました。だって…味噌汁で使う味噌の量って、具材によって変わったりしませんか?

例えば、塩蔵ワカメを使う場合は、いくらワカメを水洗いしたとしても多少は塩っ気が残っているので、味噌は控え目の量でも十分です。

逆にお豆腐を使う場合は、味噌の量が少ないと水っぽい味になってしまうので、ある程度味噌を効かせた方が美味しいと思います。

また、日によって味噌汁を作る量も変わるかもしれませんよね。今日はみんないるから多めに、とか、今日はパパの帰りが遅いから少なめに、とかね。そういうのでも、使う味噌の量は変わってくると思います。

先ほど紹介した商品…確かに、料理を始めたばかりで何もわからない時期であれば、便利な商品かもしれません。でも毎日何かしら料理を作っているうちに、何となく味噌汁に入れる味噌の量はわかってきます。具材を考えながら、味見をしながら、味噌の量を加減する…この「感覚」、料理を作る上でとっても大事だと思うのです。

 

料理を作る作業って、とってもクリエイティブですよね。調味料の組み合わせとか、入れるタイミング、火の入れ加減など、ちょっとしたコツで味がガラリと変わってきます。私自身はあまり料理が得意ではありませんが、それでも毎日、なるべく頑張って作っています。

また、ごくたまに、ものすごーく料理上手な人に出会うことがあります。長年料理を作り続けてきたからこその味とでも言いますか…こういう人が作る、ごく普通のおでんとか、野菜の煮物とか、なんてことない料理がものすごく滋味深くて美味しかったりするんですよね。

 

日々を過ごす上で、私たちが忘れがちな「感覚」、特に現代は何でもかんでも便利さを求めて、自動で動くものが増えました。掃除も洗濯も、現代では機械のスイッチを入れるだけで全てやってくれます。

でも、例えば洋服についたシミは洗濯機だけではなかなか落ちないし、掃除機だけでは床はピカピカにはなりません。手でゴシゴシ洗ったり、雑巾でキュッキュと水拭きをしたり、そういう作業が「感覚」を研ぎ澄ますのにとっても大事なのでは?と思うのです。

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今ある便利さに慣れてしまうと、だんだん頭を使わなくなります。私たちに備わっているはずの「感覚」を駆使することなく、ただ機械のスイッチを入れるだけの毎日…そんな日々を過ごしていると、頭はだんだんボケて、もしかしたら認知症になってしまうかもしれません。

頭も体も使ってナンボ!ですよ。

 

さて今から、溜まった洗濯物をいかにして部屋に干し切るか?という、ある意味頭を使う作業が待っています。って…ちょっと違うか?