樹安の日々インスピレーション

日々の生活の中での気づきを、徒然なるままに

ジャッジメント

私は、人のことをジャッジしてしまう人間です。あの人はこう、この人はこんなところがある、などと白黒つけてしまうというか。人のアラ探しをして、その人自体をダメな人だと決めつけてしまうところがあります。この癖、できれば直したいと思っていますが…気づけばジャッジしているのです。

まずはそんな自分を認めて、受け入れるために…思っていることをそのまま、書かせてもらいます。だいぶブラックな記事になりそうですが(>_<) 読んでいて嫌な気持ちになったら、スルーしてくださいね。

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前にもちょっと書きましたが、私はスピリチュアルなことが大好きです。知り合いの方に、前世とかを見てくれる人がいるよ!と紹介してもらって、その人と実際にお会いして、前世を見てもらったり、いろいろとお話したことがあります。

ブログもやっているから見てね!とその人に言われたので、どんなかな?と楽しみにブログを見てみたら…えーと、ものすごくガッカリしたんです。

だってね、前世のリーディングとかやっている割には、スピリチュアルのこととか、物事の本質とかを、全く分かっていない…実に薄っぺらい内容だったんです。それなのに専門用語とかをいっぱい使って、上から偉そうなものの言い方をしていて…腹立たしささえ覚えました。

そして、やめればいいのにこの人は、他の人に自分のスピリチュアルな?能力を伝授するのだそうで…みんなのために一生懸命やっているようでいて、実は自己満足のためにやっているのでは?とか、みんなに教えることで、自分が満たされたいだけなのでは?と思えてしまうのです。

さらにこの人、ブログ上で自分の恋愛自慢を始めたんです。私の恋愛は普通ではない、次元が違う、だからみんなの恋愛もリーディングするよ、みたいなことを言っているのですが…はっきり言って、そこに書いてあるのは単なる不倫に過ぎないのです。

スピリチュアルな理論を持ち出して、自分の恋愛を美化して、上から目線でみんなにアドバイスをする…でも、その人自身が不倫相手と何とかなりたい欲が出てきて、気持ちが前に出すぎて、相手と徐々にうまくいかなくなって…恐らく恋が終わったのだと思います。

でも、私たちはお互いに逢いたいと思っているとか、私たちは違う次元で繋がっているとか、私は満たされているとか…幸せそうな言葉を並べてみても、そこに漂うのは悲愴感。終わった恋にしがみつき、つらい本当の気持ちを隠して強がっているようにしか見えないのです。

上から目線でみんなに恋愛のアドバイスをしてしまった(今もしている?)手前、プライドもあるのでしょうか?現実に向き合おうとせず、ただ表面的に取り繕っているだけです。せっかくの恋愛経験なのに、失恋から学ぶ大きなチャンスなのに…この人自身が現実を受け止められず、そこから全く学んでいないのです。

 

今まで散々言ってきましたが…この人、リーディングの能力自体はお持ちだと思います。ただ、使い方を間違えているだけ。成長がないだけ。そういう意味では、この人はダメな人だと思います。せっかくの能力を生かすために、もっと自分としっかり向き合ってからスピリチュアルなことをやりなさい、と言いたいです。

でも、何だかんだで私は、このダメな人をずっと追いかけています。この人のダメなところを見つけて、この人を反面教師にして、ちょっと安心している自分がいたりもします。

いろいろな人のブログを見させてもらう中で、中には本当に凄いことを伝えてくれる方もいらっしゃいます。その方のブログに書いてあることは、その方が体験してきたことが色濃く反映されていて、目からウロコの連続です。何年もかけて自分と向き合ってきた実体験をベースに書いていらっしゃるので、読んでいて参考になることばかりです。

それでも私は、やっぱりダメブログを見てしまう…私もまだまだだなー、と思います。

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*追記:懲りずにダメブログさんを訪問してみたら…またもやくだらない自画自賛をしていました。正直読んでいて吐き気がしました(>_<)

あまりに嫌な気持ちになるので、もうこの人を追いかけるのはやめようと思います。ここに書き出すことで、ネガティブな思いを少しは手放せているのかもしれませんね。

怖れの解放・その3

前回は、自分自身が「できない」ことに対する怖れについて書きました。今回は自分自身ではなく、子供たちのこと。子供たちが「できない」ことに対する、親として抱えている怖れについて、です。

親であれば、そりゃ子供のことは心配です。運動会や発表会、うまくできるかどうか、ハラハラしながら見ている人も多いと思います。

さらにうちの子たちには、発達障がいというフィルターがかかります。「発達障がいだから」という強烈な怖れ…私は今までずっと抱えてきました。そして、今もなお対峙し続けています。

 

発達障がいであるが故に、強烈な人見知りを持つうちの子たち。今までは幼稚園や小学校での運動会や発表会に参加すること自体が目標でした。子供たちの出来る範囲で参加して、子供達なりに頑張って、自分の持つ力を発揮すれば、もう十分オッケーでした。

でも…学年が上がるにつれて、できることが増えるにつれて…参加するだけではなく、ある程度の完成度を求められるようになってきました。特に5年生の娘は好奇心が旺盛であるが故に、自分の能力以上のことをどんどんやりたがってしまい…やりたいことをやりきれずに、心と体のバランスを崩して、グッタリと疲れ切ってしまうこともあります。

 

そんな中でこの夏…地元の由緒ある神社で、娘は巫女舞を踊る2人のうちのひとりになってしまったのです。地元の子供が減ってきているので、うちの娘が引き受けざるを得ない状況だったのですが…実際に引き受けるかどうかは、本人も悩みに悩みました。だって、一旦引き受けたら、もうやり遂げるしかないのです。親子で悩んで、周りの人にも相談して…結局、引き受けることにしました。だって、こんなチャンスは滅多にないですからね。発達障がいを理由に断るのは、もったいないです。

 

そして先日、初めての練習がありました。私はとにかく不安でした。娘がしっかりと踊れるのかどうかと。そして…その不安は的中してしまいました。

まずは、練習場に置いてあった本番用の丙と鈴に、娘は興味津々です。一旦興味を持つと、さわって、鳴らさないと気が済まない娘…思い切り鈴をかき鳴らしてしまいました。彼女の気が済むまで。

こういう時に、ありのままの娘を受け入れられればいいのですが、私はまだまだ恥ずかしさが勝ってしまい…いたたまれない気持ちになりました。

 

そして、いざ練習が始まっても、娘は踊りを覚える前の段階、基本的な所作が全くできていません。丙と鈴をまっすぐに、腕を伸ばして持つことができず、重さに耐えられなくて腕がすぐに下がってしまいます。鈴を持って手を回したり、ゆっくりと歩を進めたりするのにも、動きが硬くてロボットのようです。

そのうちに心も体も疲れてきて、動きがフニャフニャになり、しまいにはその場にゴロンと寝転がってしまいました。見兼ねた神職の方が一旦休憩にしてくれました。休憩後は何とか復活して、基本的な動き方は一応覚えました。あとは動きの硬さや姿勢の悪さを、家で修正すれば何とかできそう、というところまでいきました。

 

今回の娘のチャレンジの過程で、私が今まで知らず知らず抱えていた思い…娘の発達障がいをごまかそうとしている自分に気づかされています。発達障がい特有の、ちょっと奇異に思える行動を、私はまだまだ恥ずかしいと思ってしまっている…そこを手放せないから、苦しいんだということに、気づき始めています。

発達障がいの特性を理解しつつ、でも巫女舞は完璧に踊らなければいけません。救いなのは、教えてくれる神職の方があまり厳しくないことと、巫女の相棒である同級生の親子が、娘の特性に対して理解があることです。

 

この先まだまだ練習を積まなければいけませんし、さらに袴の衣装に慣れることとか、苦手な髪の毛を結わえることとか、娘にとっては越えなければいけないハードルがまだまだあります。

娘の特性に寄り添える部分は寄り添って、疲れが見えたらなるべく休ませてもらって、その上で娘がしっかりとお役目を果たせるように…親としても頑張ろうと思います。

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今回、私が抱えている不安や怖れをここに書いたおかげで、私自身も覚悟ができた…気がします。さぁ、宣言します。マニフェストです。

娘は、神社の祭典で巫女舞を完璧に披露します!

怖れの解放・その2

私が抱えているいちばんの怖れは、死への怖れ。このことは、前回の怖れの解放の記事で詳しく書きました。

その次に抱えている怖れ…それは「できない」ことに対する怖れ、ではないかと思います。例えば、高い所が怖くてバンジージャンプが飛べない、とか、水が怖くて泳ぐことができない、とかの類です。

 

私は高校生の時に、ある日を境に急にハードルが飛べなくなったことがありました。前の日までは普通に飛べていたんです。でも、一旦怖い!と思ってしまってから、どうしても怖くて飛べなくなってしまったのです。たぶん今も、目の前にハードルがあったら…飛べないと思います。

そういえば子供の頃も、小学校のとなりの施設へ行く時に広めの用水路があって、そこを飛び越えなければいけなかったのですが、私には飛び越えるのが怖くて、その施設へ行く時はいつも憂鬱でした。

また、小学校にあった大きめなアスレチックの特大すべり台が、どうしても怖くてすべり下りることができませんでしたし、うんていという遊具も苦手でした。子供の頃から今に至るまで、相当のビビリ人生ですね(^_^;)

怖いという思い込みが、実際に体にも作用して、動きを鈍らせてしまう…そんな気もします。

 

さて、子供たちは夏休みに入りましたが、小学校では水泳の課題をクリアできなかった子たちが集まって、連日特別水泳教室をやっています。うちの2人…もちろんクリアできていません(>_<)

うちの子供たち、未だに水に顔をつけるのも怖がっているレベルで、泳ぐなんてとんでもない!でも、そんな2人にも、先生がしっかりついてくれて、他の子供たちとは別メニューを組んでくれています。例えば、水への怖さを克服するために、水中フラフープをくぐり抜けるとか…上の娘は、これすらズルをしようとしていました(^_^;)

うちの2人以外の子供たちも、それぞれの課題に取り組んでいました。顔に水をつけることはできても、泳ぎ出すことを怖がっている子もいて、そんな子には先生が手を出して先導してくれます。そうすれば、その子は安心して前へ泳ぎ出すことができるのです。

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この「できない」ことに対する怖れ、実は本当に書きたいことが別にあるのですが…長くなってしまったので、別の記事として改めて書きたいと思います(^_^)

理想的な年齢の重ねかた

私がお勤めしている保育園には、いろいろな年齢層の保育士さんがいらっしゃいます。

短大を卒業してホヤホヤのフレッシュな人、比較的元気な若手、中心となるベテラン世代、そして高齢者の年齢に差し掛かる方も数名いらっしゃいます。

 

夕方の時間のみで来てくれる、とある高齢パート保育士さんのお話。彼女は見た目は可愛らしいおばちゃまで、実年齢を聞くとビックリするくらいに若さを保っていらっしゃいます。物腰が柔らかく、普段あまり自分からは前へ出ることはありません。

先日保育園で行われた納涼祭での出来事。園内にお客さまが多数いらっしゃるので、事務室に鍵をかけておかなければいけないのですが、何度やっても鍵がかからなくなってしまいました。鍵を差し込んで、動くことは動くのですが、フックがうまく引っかからない状態、という感じ…わかりますか?

事務室に鍵がかけられなければ、誰かしら待機していなければいけません。私はこの日は厨房でお手伝いをしなければならず、このままでは迷惑をかけてしまう…とりあえず、通りかかった先生に片っ端から声をかけて、鍵のことを聞いてみても…どの先生もうまく鍵をかけられません。

 

さあ、いよいよ困ったぞ…そんな時に、例の高齢保育士さんが通りかかったので、鍵のことを相談してみました。すると彼女は、あー前にもこんなことあったわ、確かこうして、こうしてね…と、一発で直してしまったんです!見事にロック成功!やったー!

私にとって救世主となった彼女、あら、よかったわね!と軽やかにその場を後にしました。何てカッコいい!そして何て爽やかなんでしょう!

自分ができることを自慢するのではなく、ひけらかすのでもなく、困った人がいたらさりげなくサッと助ける…私もこういう年齢の重ね方をしたいものだと、しみじみ感じたエピソードでした。

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「できない」と言える勇気

人間、誰しも、自分のことをよく見られたいと思いますよね。

そりゃあ、化粧っ気のないオバさんよりは、身なりを綺麗にしている女性の方が魅力的に見えますし、だらしない体つきの男性よりは、少しでも引き締まった体つきの男性の方がモテると思います。

見た目ではなくて、内面においても…何も知らない人よりは知識のある人の方がすごい!と思われるし、DIYとかパパッとできちゃう人や、ささっと料理を作れる人の方が、何となくカッコいいですよね。

 

だから私たちは、ついつい欲張ってしまうのです。本当はできないことでも、できるよ!と手を挙げてしまったり、本当は知らないことでも、知ってるよ!と言ってしまうのです。

でも…いざやってみても、できないことはできないし、知らないことは知らないのです。ある意味嘘をついてしまったことになり、相手をガッカリさせるだけではなく、相手の信用を失う場合もあるかもしれません。

 

私自身、以前は人に良く見られたくて、何でもかんでもやろうとしていましたし、自分にはできると思っていました。でも、引き受けたことを全部やるなんてとても無理で、焦りから自分に余裕がなくなり、自分で自分の首を締めてしまっていました。

 

できないことは、できない。

知らないことは、知らない。

ダメなものは、どうあがいてもダメなのです。

そこを認めて、受け入れる勇気が必要です。

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それからは、自分にできないことは正直に「できません」と伝えることと、相手に頼めることは感謝して頼むことを心がけています。それでもたまに、知らず知らず自分で引き受けすぎて、やりきれずにパニックになることはあります(^_^;) まぁそんな時も落ち込まないで、次からまた気をつけましょう!と切り替えるようにしています。

できないことを手放した分、自分のできること、やるべきことがその場その場でわかるようになってきました。

自分のできることに集中する。できないことは人に任せる。もう、とっても楽チン!ですよ(^_^)

現実から目を逸らしてはいけない

私はスピリチュアルの分野に興味があります。

スピリチュアルに興味を持つ人って、例えば家族のことで苦労したり、周りとの人間関係がうまくいかなかったりして、そんな自分を癒したかったり、自分を変えたかったり…私もそんな感じです。

 

スピリチュアルに興味を持ち始めると、パワーストーンとか、ヒーリングとか、もっと進むと自分の前世とか、天使の存在とか、宇宙の意識とか、いろんな分野へと繋がっていきます。

でも、そこで陥りがちなこと…現実逃避です。

目の前で起きている自分の現実を受け入れられずに、そこから目を逸らすために、スピリチュアルに逃げてしまう人が多いのではないでしょうか。

 

例えば…スピリチュアルの中で出てくる、ソウルメイトという言葉。魂で繋がっている親友のことを指します。もっと進むと、唯一無二の存在であるツインソウルとか、双子の魂であるツインレイとか、いろんなキーワードが出てきます。

現実に起きている人間関係、特にうまくいかない恋愛で苦労している人は、とかくこのツインという存在に出会いたがり、幻想を抱きがちになります。今目の前にいるこの人が、もしかしたらツインかも?と変に期待をしたり、今はうまくいかなくても、この人とは魂で繋がっているから、我慢していればそのうち振り向いてくれる!とか、そういうリーディングをするヒーラーさんもいたりします。

 

でも、そのツインという理論を持ち出すことで、現実逃避をしているようにしか見えないのです。恋愛は、相性だったり、タイミングだったり、いろんな要素が絡み合って、うまくいかないこともあります。残念ながら成就しなかった恋愛でも、その恋愛から学ぶことはたくさんあるだろうし、うまくいかなかったことを、原因も含めてまるっと受け止めることで、その人自身は大きく成長し、さらにいい出会いに繋がると思います。

 

ツインという存在…実際に存在するとは思いますが、それは私たちが知っている恋愛感情とは比べものにならないくらいの、想像をはるかに越えた存在なのではないか?と私は思うのです。

ツインの理論を都合よく、自分の恋愛感情に当てはめているだけでは、いつまでも現実逃避をしているだけです。現実逃避をして、いつまでも同じ相手に執着し続けていても、そこに明るい未来はないと思います。がんじがらめの苦しい恋愛が続くだけです。

目の前に起きている現実から目を逸らさずに、自分の恋愛なり、人間関係なりに、真っ正面から向き合うこと。まずはそこからだと思います。

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ココロとカラダのつながり・その3

このシリーズ、まさかその3まで続くとは思いませんでした(^_^;) 

今回は(今回も?)最近ずっと悩まされている生理のお話です。

子供が大きくなってきて、仕事復帰を考えるようになってからかな?気づいたら生理の周期が崩れていました。仕事を始めたことで、心では知らず知らずのうちにストレスを溜め込み、同時に体では月に1回排出されるはずの血液を溜め込む癖がついてしまったのです。

私はもうじきアラフィフです。閉経の可能性もありますが、お腹や腰回りがズーンと重くなるこの感じ、まだまだ出るべき血液を溜め込んでいる感じがするのです。

 

生理不順、病気の可能性を考えてしまうと不安です。原因はストレスなのはわかっているのですが、不安に思うことが新たなストレスを生むくらいなら、安心するために医者に行けばいいんじゃないの?とも思いました。

でも、病院へ行って、万が一病気が見つかったとしても、例えば抗ガン剤とかで治療をすることは、本来の体が持つリズムを崩してしまうと思ったし…だったら病院へ行くよりも、本来の自分のリズムを取り戻すことの方が大事!と思いました。

そのために、呼吸を整える目的でヨガの動きをやってみたり、アロマを使ってたっぷりとマッサージをしたり、自分の中に溜まっている思いを解放したり(このブログで赤裸々に書いています)自分の心と体に、自分なりに向き合ってみました。

そして今日!生理が戻りました!やったー!今日が満月なのも、関係があるんでしょうかね?

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最近見つけた、とあるブログに書いてあったこと…女性は本来のリズムを取り戻すと、月の満ち欠けと生理の周期がピタッと合うのだそうです。新月の浄化のエネルギーとともに生理で排出されて、満月とともに排卵をするのだそう…人体の不思議、何て神秘的なんでしょう!自分が女性として生まれてきているのもあって、自然と自分とが一体となる感じ…想像するだけでワクワクします。

出産を経験した時も女性の神秘を感じましたが、生理という月に1回の神秘体験…今の私は大幅に崩れてしまっていますが、病気かもしれない、という恐れを手放すとともに、自分の本来持つリズムを信じて…これからも、自分の心と体に向き合っていきたいと思います(^_^)