樹安の日々インスピレーション

日々の生活の中での気づきを、徒然なるままに

夏の薫り

私が住む地域でも、ようやく梅雨が明けました。長い梅雨でしたが、やっと夏らしい晴れた天気になりました。

夏になると、ちょっと動くだけでもジットリと汗をかいたり、たまに吹き抜ける風が心地よかったり、日陰が有難かったり、蚊に刺されて痒くなったり、セミの種類で夏の始まりや終わりを感じたり…今までの経験からの、私なりの「夏の薫り」です。

今日は曇り空ではありますが、地面から湧き上がるムンとした暑さがもう、夏!って感じです。うちの子供たちは元気よく、デイの先生と地域のイベントへ出かけていきました。

 

夏祭りの喧騒とか、花火の風情とか、流しそうめんとか、プールや海水浴など、夏休みならではの楽しいイベントも「夏」を感じさせてくれます。

地域によっては、夕方にスコールのような雨が降ったり、毎年のように台風が来たりもしますよね。今まではある程度予測できるレベル、私たちにも対応できるレベルだったはずですが…ここ数年のゲリラ豪雨とか、凄まじい勢いの台風は、夏の風情なんて言ってられないレベルで…家が壊されたり、時には命を奪われてしまうこともあります。

 

ちょっと昔のフォークソングで歌われているような、夏の風景。井上陽水さんの「少年時代」や、吉田拓郎さんの「夏休み」あたりで歌われている風景は、もはやかつての幻想…なのかもしれません。

それでも私は、夏の楽しみ、夏の風景…今も昔も変わらないはずの「夏の薫り」を、まだ見ぬ未来の子供たちにも伝えていきたいのです。

今都会に住んでいる皆さん、この夏は旅行や里帰りの折に、ぜひ自然に触れてみてください。忘れていた何かが、そこにはあるかもしれませんよ。

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やってみて、気づくこと

私はつい最近まで、発達障がい児の子育てを理由に特に仕事をしていませんでした。朝や夕方はバタバタと忙しいものの、子供が学校へ行っている日中は自分の時間を過ごすことができていました。

でも、ひとりで家にいると…ダラダラしてしまうんですよね(^_^;)

家の片付けとか、庭仕事とか、たまった録画を見るとか、やることはたくさんあるはずなのに、ダラダラ過ごして…気づいたら子供を迎えに行く時間!結局何もできなかった…そんな日々を過ごしていました。

当時の私は、本当にこれでいいのだろうか?と思っていました。また、仕事をしないで日中ダラダラしていることに罪悪感を抱いていました。

 

そんな中、ご縁があって仕事のお誘いがありました。仕事をするにあたって、子供のお迎えや療育に影響しないことが条件でしたが…勤務時間が9時から14時までということなので、条件クリア!です(^_^) 仕事内容が未経験の事務職であることが不安材料でしたが…お引き受けすることにしました。

 

日中仕事に行くことでダラダラする時間がなくなり、今まで抱いていた変な罪悪感はなくなりました。働いて毎月お給料をもらうことで、経済的にも少し余裕が生まれました。

一方で、無理のない、負担のかからない時間帯で働く仕事を選んだつもりでしたが、今まで家事をしたり、自分の好きなことをして過ごしていた時間がそのまま仕事になってしまったことで…気持ちのゆとりがなくなってしまいました。今まで当たり前にできていた洗濯や掃除をやる気が全く起きず、家がどんどん荒れてきています(>_<)

家が荒れていること、本当にストレスです。片付けたい、スッキリさせたい、でもボーッとして体が動かない…週の始めはまだ少しだけ余裕がありますが、週末になるともう本当にグチャグチャになります。土日でリフレッシュして、やっと片付ける余裕ができて、リセット。そんな日々を過ごしています。

 

仕事をしないでダラダラしつつも、ある程度家が片付いている生活と、仕事をしてある程度メリハリがありつつ、家はグチャグチャ状態の生活。実際にやってみないと、どう感じるのか?はわからないものですね。

今の仕事はすぐに辞めるわけにはいかないので、しばらくはグチャグチャ状態の生活が続くと思われますが…できないものはできないと割り切っていくしかない、ですかね。

時間に余裕のなくなった今になって、一見無駄に思える、ダラダラしたりボーッとしたりする時間の大切さを実感しています(^_^;)

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他者への憧れ → 現実 → 理想の自分

中学生とか高校生の頃って、いろいろなことに憧れたりしますよね。ちょっと不良っぽいお兄さんをカッコいいと思ったり、学校の中でも目立つグループに入ろうとしたり…どうですかね?

私自身はおとなしいタイプでしたが、高校時代に背伸びをして、クラスの目立つグループに入っていたことがあります。その時、私はそのグループに居続けること自体に必死になって、みんなのご機嫌ばかりをとっていて、結局そのグループ全員に嫌われてしまったことがあります。目立つグループに嫌われたことで、私はクラスで孤立してしまい、当時は辛い日々を過ごしました。

 

そして大人になってからも、私には憧れている人たちがいます。それは、カフェとか雑貨とかのお店をやっている、オシャレな人たち。体にいい食材を使ったりして、健康的な生活をして、時間ができたらフラッと旅に出て…そんな生き方に、ものすごく憧れを持っていました。

そして、そういう人たちと何人かご縁があって、イベントに参加したり、一緒に遊んだりしたこともあります。遊んでいる時は楽しかったのですが…家に帰ってきてからグッタリと疲れてしまったんです。その人たちのペースに、無理をして合わせてしまっていたことに、後になってから気づきました。

 

憧れを持つ気持ち、その理由は人それぞれだと思います。自分にないものを求める場合もあるだろうし、自分に近い考え方にシンパシーを感じる場合もあると思います。

いずれにしても…憧れの気持ちが生まれて、そこに自分を近づけてみて、自分の現実がはっきりとわかります。私の場合は、憧れていることと自分との違いに気づいたのですが、憧れの存在に同調してさらに高みを目指す場合もあるかもしれません。

 

憧れているものと、自分の現実とが違う…最初は落ち込むかもしれませんが、自分の本当の心地よさを知るきっかけになります。それが自分自身と向き合う第一歩です。私の場合は、外へ出てパーティを楽しむよりも、家でひとりの時間を持つことの方が心地よいことに気づきました。

そして、これが自分!というものがわかってきたら、その次のステップ…理想の自分とは何だろう?への道が始まります。途方もない、長い道のりのように思えますが、この道の途中にいる私、けっこう楽しんでいますよ(^_^)

他者への憧れから、自分の現実を知り、そして理想の自分へと向かっていく…この過程、言い換えれば真の自分探しとも言えます。たとえ時間がかかっても、やってみる価値はあると思いますよ!

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ジャッジメント・その2

私は、人のことをジャッジしてしまう人間です。人のアラ探しをして、その人自体をダメな人だと決めつけてしまうところがあります。この癖、できれば直したいと思っていますが…なかなか直らないものですね。気づけばジャッジしているのです。

まずはそんな自分を認めて、受け入れるために…思っていることをそのまま、書かせてもらいます。まだまだ私の中に留まっている膿を出し切るために、前回に続いてその2です(^_^;) すみませんが、おつきあいください。

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数年前、私はメディカルアロマというものに出会いました。日々のちょっとした不調に使えること、日常生活に役立つことに加えて、発達障がいの子供たちの精神面にも作用してくれる可能性があるかもしれない、とのことで…発達障がいを抱える子供たちのために、あらゆる可能性を信じて勉強し、実際に試してみたりもしていました。

そこで立ち上がった、とあるプロジェクト。発達障がい児の母親が主催となって、仲間である発達障がい児の母親たちへのアロマ講座+日頃の悩みをみんなで話してスッキリしてもらおう、という会を月一回のペースで始めたのです。

 

中心となって動くのは、とある発達障がい児のママさんで、私を含む数名がお手伝いをします。事前の打ち合わせや情報交換は、とにかく楽しかった!こんな雰囲気で、実際の講座も楽しくなりそうだなー、とワクワクしていた、のですが…実際の講座では、主催のママさんが自分の子供の体験談をずっと喋りっぱなし、だったのです(>_<)

来てくださった方の話も少しは聞けましたし、アロマの話やアロマ体験もある程度はできたのですが…この主催ママさん、とにかく自分の話をしたくて、したくて、聞いてほしくてたまらない、のです(>_<)

このママさん、話をするのがとっても上手なので…講座に来てくれた方たちは、このママさんの話術に引き込まれて感心している様子でした。でも、私がやりたいのはこういうことじゃないんだよなー、と密かに思っていました。

 

このママさん、さらに児童カウンセラーの資格を取ったのだそうです。資格を取ること自体はすごいことだし、そのために勉強もたくさんしたのだと思いますが…講座の中で、やたらと資格を取ったこと、自分が頑張ったことを自慢し始めたのです。資格を取ったのよ!という話をすれば、みんなにすごい!と言ってもらえますよね(^_^;)

でも…この人って、自分の話をみんなに聞いてほしくてたまらない人ですよね。一般的なカウンセリング、まずはクライアントの話にじっくりと耳を傾けることから始まります。話を聞いてほしい側の彼女が、カウンセラーの資格を取ったところで…クライアントの話に耳を傾けることができますかね?

まぁそれは置いときまして…私はこのままでは、この講座自体がダメになると危機感を持ちました。とりあえずお仲間のママさんに相談して、私の思いを伝えてみたら、理解はしてもらえました。改めて講座内容をみんなで話し合いましょう、となったのですが…結局、何度やっても主催ママさんの話ばかり、来ている方は話を聞いて感心するだけの講座…私はこれ以上我慢することができず、この仲間から抜けさせてもらいました。

 

その後、この講座が今も続いているのか?主催ママさんはカウンセラーとして活躍されているのか?彼女と全く接点がなくなったのでわかりませんが…私自身は、今回のことで、仲間と共同でプロジェクトを立ち上げることの難しさを学びました。

これ以来、私は中途半端に仲間を持つことをしなくなりました。まずは自分がやりたいことをやる!そこに嘘をつかないためにも、私は孤独の道を歩んでいます。

ジャッジメント

私は、人のことをジャッジしてしまう人間です。あの人はこう、この人はこんなところがある、などと白黒つけてしまうというか。人のアラ探しをして、その人自体をダメな人だと決めつけてしまうところがあります。この癖、できれば直したいと思っていますが…気づけばジャッジしているのです。

まずはそんな自分を認めて、受け入れるために…思っていることをそのまま、書かせてもらいます。だいぶブラックな記事になりそうですが(>_<) 読んでいて嫌な気持ちになったら、スルーしてくださいね。

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前にもちょっと書きましたが、私はスピリチュアルなことが大好きです。知り合いの方に、前世とかを見てくれる人がいるよ!と紹介してもらって、その人と実際にお会いして、前世を見てもらったり、いろいろとお話したことがあります。

ブログもやっているから見てね!とその人に言われたので、どんなかな?と楽しみにブログを見てみたら…えーと、ものすごくガッカリしたんです。

だってね、前世のリーディングとかやっている割には、スピリチュアルのこととか、物事の本質とかを、全く分かっていない…実に薄っぺらい内容だったんです。それなのに専門用語とかをいっぱい使って、上から偉そうなものの言い方をしていて…腹立たしささえ覚えました。

そして、やめればいいのにこの人は、他の人に自分のスピリチュアルな?能力を伝授するのだそうで…みんなのために一生懸命やっているようでいて、実は自己満足のためにやっているのでは?とか、みんなに教えることで、自分が満たされたいだけなのでは?と思えてしまうのです。

さらにこの人、ブログ上で自分の恋愛自慢を始めたんです。私の恋愛は普通ではない、次元が違う、だからみんなの恋愛もリーディングするよ、みたいなことを言っているのですが…はっきり言って、そこに書いてあるのは単なる不倫に過ぎないのです。

スピリチュアルな理論を持ち出して、自分の恋愛を美化して、上から目線でみんなにアドバイスをする…でも、その人自身が不倫相手と何とかなりたい欲が出てきて、気持ちが前に出すぎて、相手と徐々にうまくいかなくなって…恐らく恋が終わったのだと思います。

でも、私たちはお互いに逢いたいと思っているとか、私たちは違う次元で繋がっているとか、私は満たされているとか…幸せそうな言葉を並べてみても、そこに漂うのは悲愴感。終わった恋にしがみつき、つらい本当の気持ちを隠して強がっているようにしか見えないのです。

上から目線でみんなに恋愛のアドバイスをしてしまった(今もしている?)手前、プライドもあるのでしょうか?現実に向き合おうとせず、ただ表面的に取り繕っているだけです。せっかくの恋愛経験なのに、失恋から学ぶ大きなチャンスなのに…この人自身が現実を受け止められず、そこから全く学んでいないのです。

 

今まで散々言ってきましたが…この人、リーディングの能力自体はお持ちだと思います。ただ、使い方を間違えているだけ。成長がないだけ。そういう意味では、この人はダメな人だと思います。せっかくの能力を生かすために、もっと自分としっかり向き合ってからスピリチュアルなことをやりなさい、と言いたいです。

でも、何だかんだで私は、このダメな人をずっと追いかけています。この人のダメなところを見つけて、この人を反面教師にして、ちょっと安心している自分がいたりもします。

いろいろな人のブログを見させてもらう中で、中には本当に凄いことを伝えてくれる方もいらっしゃいます。その方のブログに書いてあることは、その方が体験してきたことが色濃く反映されていて、目からウロコの連続です。何年もかけて自分と向き合ってきた実体験をベースに書いていらっしゃるので、読んでいて参考になることばかりです。

それでも私は、やっぱりダメブログを見てしまう…私もまだまだだなー、と思います。

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*追記:懲りずにダメブログさんを訪問してみたら…またもやくだらない自画自賛をしていました。正直読んでいて吐き気がしました(>_<)

あまりに嫌な気持ちになるので、もうこの人を追いかけるのはやめようと思います。ここに書き出すことで、ネガティブな思いを少しは手放せているのかもしれませんね。

怖れの解放・その3

前回は、自分自身が「できない」ことに対する怖れについて書きました。今回は自分自身ではなく、子供たちのこと。子供たちが「できない」ことに対する、親として抱えている怖れについて、です。

親であれば、そりゃ子供のことは心配です。運動会や発表会、うまくできるかどうか、ハラハラしながら見ている人も多いと思います。

さらにうちの子たちには、発達障がいというフィルターがかかります。「発達障がいだから」という強烈な怖れ…私は今までずっと抱えてきました。そして、今もなお対峙し続けています。

 

発達障がいであるが故に、強烈な人見知りを持つうちの子たち。今までは幼稚園や小学校での運動会や発表会に参加すること自体が目標でした。子供たちの出来る範囲で参加して、子供達なりに頑張って、自分の持つ力を発揮すれば、もう十分オッケーでした。

でも…学年が上がるにつれて、できることが増えるにつれて…参加するだけではなく、ある程度の完成度を求められるようになってきました。特に5年生の娘は好奇心が旺盛であるが故に、自分の能力以上のことをどんどんやりたがってしまい…やりたいことをやりきれずに、心と体のバランスを崩して、グッタリと疲れ切ってしまうこともあります。

 

そんな中でこの夏…地元の由緒ある神社で、娘は巫女舞を踊る2人のうちのひとりになってしまったのです。地元の子供が減ってきているので、うちの娘が引き受けざるを得ない状況だったのですが…実際に引き受けるかどうかは、本人も悩みに悩みました。だって、一旦引き受けたら、もうやり遂げるしかないのです。親子で悩んで、周りの人にも相談して…結局、引き受けることにしました。だって、こんなチャンスは滅多にないですからね。発達障がいを理由に断るのは、もったいないです。

 

そして先日、初めての練習がありました。私はとにかく不安でした。娘がしっかりと踊れるのかどうかと。そして…その不安は的中してしまいました。

まずは、練習場に置いてあった本番用の丙と鈴に、娘は興味津々です。一旦興味を持つと、さわって、鳴らさないと気が済まない娘…思い切り鈴をかき鳴らしてしまいました。彼女の気が済むまで。

こういう時に、ありのままの娘を受け入れられればいいのですが、私はまだまだ恥ずかしさが勝ってしまい…いたたまれない気持ちになりました。

 

そして、いざ練習が始まっても、娘は踊りを覚える前の段階、基本的な所作が全くできていません。丙と鈴をまっすぐに、腕を伸ばして持つことができず、重さに耐えられなくて腕がすぐに下がってしまいます。鈴を持って手を回したり、ゆっくりと歩を進めたりするのにも、動きが硬くてロボットのようです。

そのうちに心も体も疲れてきて、動きがフニャフニャになり、しまいにはその場にゴロンと寝転がってしまいました。見兼ねた神職の方が一旦休憩にしてくれました。休憩後は何とか復活して、基本的な動き方は一応覚えました。あとは動きの硬さや姿勢の悪さを、家で修正すれば何とかできそう、というところまでいきました。

 

今回の娘のチャレンジの過程で、私が今まで知らず知らず抱えていた思い…娘の発達障がいをごまかそうとしている自分に気づかされています。発達障がい特有の、ちょっと奇異に思える行動を、私はまだまだ恥ずかしいと思ってしまっている…そこを手放せないから、苦しいんだということに、気づき始めています。

発達障がいの特性を理解しつつ、でも巫女舞は完璧に踊らなければいけません。救いなのは、教えてくれる神職の方があまり厳しくないことと、巫女の相棒である同級生の親子が、娘の特性に対して理解があることです。

 

この先まだまだ練習を積まなければいけませんし、さらに袴の衣装に慣れることとか、苦手な髪の毛を結わえることとか、娘にとっては越えなければいけないハードルがまだまだあります。

娘の特性に寄り添える部分は寄り添って、疲れが見えたらなるべく休ませてもらって、その上で娘がしっかりとお役目を果たせるように…親としても頑張ろうと思います。

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今回、私が抱えている不安や怖れをここに書いたおかげで、私自身も覚悟ができた…気がします。さぁ、宣言します。マニフェストです。

娘は、神社の祭典で巫女舞を完璧に披露します!

怖れの解放・その2

私が抱えているいちばんの怖れは、死への怖れ。このことは、前回の怖れの解放の記事で詳しく書きました。

その次に抱えている怖れ…それは「できない」ことに対する怖れ、ではないかと思います。例えば、高い所が怖くてバンジージャンプが飛べない、とか、水が怖くて泳ぐことができない、とかの類です。

 

私は高校生の時に、ある日を境に急にハードルが飛べなくなったことがありました。前の日までは普通に飛べていたんです。でも、一旦怖い!と思ってしまってから、どうしても怖くて飛べなくなってしまったのです。たぶん今も、目の前にハードルがあったら…飛べないと思います。

そういえば子供の頃も、小学校のとなりの施設へ行く時に広めの用水路があって、そこを飛び越えなければいけなかったのですが、私には飛び越えるのが怖くて、その施設へ行く時はいつも憂鬱でした。

また、小学校にあった大きめなアスレチックの特大すべり台が、どうしても怖くてすべり下りることができませんでしたし、うんていという遊具も苦手でした。子供の頃から今に至るまで、相当のビビリ人生ですね(^_^;)

怖いという思い込みが、実際に体にも作用して、動きを鈍らせてしまう…そんな気もします。

 

さて、子供たちは夏休みに入りましたが、小学校では水泳の課題をクリアできなかった子たちが集まって、連日特別水泳教室をやっています。うちの2人…もちろんクリアできていません(>_<)

うちの子供たち、未だに水に顔をつけるのも怖がっているレベルで、泳ぐなんてとんでもない!でも、そんな2人にも、先生がしっかりついてくれて、他の子供たちとは別メニューを組んでくれています。例えば、水への怖さを克服するために、水中フラフープをくぐり抜けるとか…上の娘は、これすらズルをしようとしていました(^_^;)

うちの2人以外の子供たちも、それぞれの課題に取り組んでいました。顔に水をつけることはできても、泳ぎ出すことを怖がっている子もいて、そんな子には先生が手を出して先導してくれます。そうすれば、その子は安心して前へ泳ぎ出すことができるのです。

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この「できない」ことに対する怖れ、実は本当に書きたいことが別にあるのですが…長くなってしまったので、別の記事として改めて書きたいと思います(^_^)